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中田英寿が手掛ける「日本工芸」の展覧会! チケットプレゼント

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「REVALUE NIPPON PROJECT」展は、日本工芸と現代美術、デザインのコラボレーションによって実現したこれまでに類を見ない展覧会。このプロジェクトでは、毎年「陶磁器」「和紙」「竹」「型紙」「漆」といった、ひとつの素材をテーマに選び、批評家などの専門家を中心としたアドバイザリーボードが工芸家およびアーティストなどのコラボレーターを選定、各チームが自由な発想で制作。本展覧会はその集大成。中田英寿が現役引退後、力を注いできた「新たな日本工芸の発見」と「伝統的工芸の再編集」をレポート。

元サッカー日本代表・中田英寿が今注目する「工芸の未来」。

 サッカー選手としての中田英寿を知らない人はいないだろう。その中田が現役引退後、全国各地を自ら訪れ日本の文化や技術の価値、可能性を再発見し発信していくプロジェクト「REVALUE NIPPON PROJECT」を立ち上げ、活動していることは知っているだろうか?

 イタリア、イギリスなど海外生活を長く経験し、さまざまな国の人々と交流のある中田は海外でまず自分のことを聞かれ、次に「日本の文化」を聞かれるという。でも、実際どこまで日本の文化を知っているのだろうと思ったことが、47都道府県を巡るきっかけだったという。4月9日よりパナソニック汐留ミュージアムにて開催されている「REVALUE NIPPON PROJECT展 中田英寿が出会った日本工芸」は、中田が旅のなかで心動かされた「日本工芸」の展覧会なのだが、これが少し変わっている。

 伝統工芸にスポットを当てた展覧会ではなく、伝統工芸に脈々と流れる技術を受け継いだうえで、現代における工芸に再編集された新しい工芸の展覧会なのだ。そして、それは「日本工芸の未来」を見据えた試みでもある。

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植葉香澄、奈良美智、中田英寿 UFO鍋 2010 茨城県陶芸美術館蔵 ©︎ 植葉香澄、奈良美智、中田英寿 © Junichi Takahashi
会場入ってすぐに展示されている、有機的で謎めいたUFO鍋のかたちのモデルは「タジン鍋」だそう!

作品を工芸家、コラボレーター、アドバイザリーボードの三者でつくり上げる

 このプロジェクトから生まれる作品がとても刺激的なのは、その作品の生まれ方にある。工芸家とデザイナーなど、コラボレーターとの共同作品は昨今よく見受けられるスタイルだ。ただその場合、工芸家よりもデザイナーが前に出ることが多いなど、両者にとって幸せな結果にはなりにくい、と中田は指摘する。ここに双方の間に立ち、バランスを取ることのできるアドバイザリーボードの出番がある。

 そのアドバイザリーボードを担う人物も多様だ。中田の他に音楽プロデューサーの藤原ヒロシやクリエイティブディレクターの佐藤可士和、中川政七商店の代表である中川淳らが選出されている。各分野の専門家であるアドバイザリーボードのメンバーが工芸家とコラボレーターを選定し、チームを結成する。

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新里明士、宮島達男、藤原ヒロシ 光器 2010 茨城県陶芸美術館蔵

 例えば、陶磁器作家・新里明士(工芸家)、現代美術家・宮島達夫(コラボレーター)、音楽プロデューサー・藤原ヒロシ(アドバイザリーボード)による作品「光器」(2010)がある。成形した器に透かし彫りを施し、その穴を半透明の釉薬で埋める蛍手(ほたるで)という技術で制作を行う新里の作品にデジタルとリンクする感覚を覚えた藤原が、デジタルカウンターの作品で知られる宮島をコラボレーターに選出した。

 作品を見ると、白磁の器に浮かび上がるデジタルカウンターの数字があまりに柔らかく光ることに目が奪われる。「光器」のデジタルカウンターは安らぐように美しい。

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谷村丹後、田川欣哉、佐藤可士和 TakeFino 2013 中島薫蔵

 茶筅師・谷村丹後、デザインエンジニア・田川欣哉、アートディレクター・佐藤可士和による作品《TakeFino》(2013)。流れるように美しい字体、近寄って観てみると実は竹で形づくられていることに気付く。

 お茶を点てる時に用いる茶筅をつくる過程に必要とされる「味削り」という技法と田川欣哉がデザインしたオリジナルフォント「TakeFino」が合わさって生まれた「竹の詩」は、エレガントの一言に尽きる。日本人にとって太古から馴染み深い「竹」という素朴な素材が、工芸家のもつ研ぎ澄まされた技術とコラボレーターの発想によって新たな表情を見た瞬間だ。

日本工芸における後継者不足をどう乗り越えるかという課題

 日本の伝統工芸は全国的に後継者不足が深刻である。本展覧会の図録の巻頭インタビューで美術史学者、青柳正規も「工芸がきちんと継承されるという意味においては、今が最後のときだと私は感じています。というのも、作家はこの先も出てくるだろうけれども、材料や工具の生産者がどんどん厳しい状況に追い込まれているからです」 と指摘しているように、これまでの伝統的な枠組みのなかでの発展は厳しいのが現状だ。

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起正明、新立明夫、白洲信哉 風雲波輪 2014 一般財団法人 TAKE ACTION FOUNDATION蔵 © Junichi Takahashi 
滑らかな革に施された型紙による転写および刻印。工芸が羨望の対象となるような、ラグジュアリーな価値観を併せもった作品

 しかし、工芸を新たな形に落とし込むことができれば、その「技術」と「精神」は継承することができるのではないだろうか? その可能性を特に感じたのが「型紙」エリアの展示。

 型紙とは小紋や浴衣などの柄のもととなる工芸用具を指す。自転車のサドルやホイール、サドルバッグに至るまで型紙によって模様が転写・刻印されている起正明による《風雲波輪》(2014)。インダストリアルデザイナー・新立明夫とプロデューサー・白洲信哉がチームを組むことで、染物の道具のひとつである型紙が「動く型紙」としてラグジュアリーな存在感を放っている。

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兼子吉生、妹島和世、長谷川祐子 silver balloon 2014 

 型紙エリアで幽玄な美しさを放っていたのが《風雲波輪》(2014)。型紙自体を貼りつけて照明にしているのだが、直径100cmもあるサイズに合わせて伝統工芸士・兼子吉生が新たに型紙を彫っている。このサイズは一般的な住居には大きいかもしれないが、空間に吊るされている姿を想像してみると、シンプルでモダンな家具ともすんなり馴染みそうだ。

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兼子吉生、妹島和世、長谷川祐子 silver balloon 2014 (部分)
妹島氏と長谷川氏が型紙を選定した。幻想的なモチーフは伝統的でありつつも、モダンに映る

工芸のもつ「その土地らしさ」を再編集し、未来へ繋げていく。

 本展覧会でのユニークで強固なチームから生まれた作品を目の当たりにすると、まず伝統的な日本工芸の高度で繊細な技術に驚き感動するだろう。中田は日本工芸が根付いているその土地に出向き、時には自らものづくりを体験することでその魅力を味わってきた。

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会場デザインは藤本壮介建築設計事務所。天井から吊るされたキャプションが浮かんでいるように見える

 制作に必要な環境や作品づくりに最も適した素材の調達を条件とする特性上、工芸はそれぞれの地域の風土に根ざしている。それは都会との距離感も相まって、現代的な生活様式との乖離にも繋がっているように思う。工芸家が備えた技術とその伝統的な美しさは混じり気のない日本文化だが、新しいアイディアを吹き込み続けなければいずれ過去のものになってしまうだろう。私たちの文化に根付く工芸は、長い歴史のなかで少しずつ変化を重ねながら生きながらえてきた柔軟な強さを持ち合わせている。

 日本工芸に興味を持つ人が増え、実際に地方に足を運ぶ人や本展覧会のように刺激的なチームが各工芸分野で発生していくことで、つぎつぎに開かれる表現力の引き出しが工芸の未来を変えていくにちがいない。

展覧会招待券を5組10名様にプレゼント!

 「REVALUE NIPPON PROJECT」展の招待券を、抽選で5組10名様にプレゼントいたします。ご希望の方は、お名前・メールアドレス・ご住所・「bitecho」の感想を記入のうえ、件名を【bitecho 「REVALUE NIPPON PROJECT」展プレゼント】とし、bitecho@bijutsu.pressまでメールをお送りください。応募締切は2016年4月24日。当選者の発表は、賞品の発送をもってかえさせていただきます。

REVALUE NIPPON PROJECT展
会期:2016年4月9日~6月5日
会場:パナソニック汐留ミュージアム
住所:東京都港区東新橋1-5-1 パナソニック東京汐留ビル4階
お問い合わせ:03-5777-8600 [ハローダイヤル]
開館時間:10:00~18:00 (ご入館は17:30まで)
休館日:水 (ただし5月4日は開館)
入館料:一般 1,000円 / 大学生 700円 / 中高学生 500円
URL:http://panasonic.co.jp/es/museum/
   http://nakata.net/rnp/ (REVALUE JAPAN NIPPON 公式ウェブサイト)

ルネサンスを越えた男、カラヴァッジョ。内覧会レポート

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現在、国立西洋美術館(東京・上野)で日伊国交樹立150周年を記念した「カラヴァッジョ展」が開催されている。本展では、カラヴァッジョの作品11点と、彼の継承者である「カラヴァジェスキ」たちの作品、あわせて51作品を展示。今回が世界初公開となる《法悦のマグダラのマリア》やカラバッジョをめぐる裁判史料の展示など、カラヴァッジョの人物像に迫る展示も見逃せない。2016年2月29日に行われた内覧会より、本展の見どころをレポートする。まずはカラヴァッジョの代表作《女占い師》と《エマオの晩餐》に焦点を当て、カラバッジョの影響を受けたカラヴァジェスキたちの作品を紹介。そして《法悦のマグダラのマリア》にフォーカスし、「天才」カラヴァッジョの人物像に迫りたい。

 「カラヴァッジョ」の通称で広く知られる画家、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(1571~1610)は、イタリアのロンバルディア地方で生まれた。のちに、ラファエロとミケランジェロによって頂点を極めたルネサンス美術以降、停滞していたイタリア美術界に新風を吹き込むことになる。カラヴァッジョの画業は、後世のカラヴァジェスキ(カラヴァッジョ派)と呼ばれる多くの継承者らによって、ヨーロッパ全域に広がり、ルーベンスやフェルメール、レンブラントといったバロック美術の巨匠たちにも影響を与えた。

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作者不詳 カラヴァッジョの肖像 1617頃 キャンバスに油彩 61 × 47cm サン・ルカ国立アカデミー(ローマ) Roma, Accademia Nazionale di San Luca

日常生活と庶民を描いた《女占い師》

 最初のセクションの冒頭を飾るのは、カラヴァッジョの初期作品の1つ《女占い師》である。

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カラヴァッジョ 女占い師 1597頃 キャンバスに油彩 115 × 150cm カピトリーノ絵画館(ローマ)
© Archivio Fotografico dei Musei Capitolini

 上等な衣装に身を包んだ若い男が、ジプシーの少女に手相を見てもらっている。だが彼の関心は、占いの結果よりももっぱらこの身分の違う少女自身にあるようだ。その少女の顔を見ると、何やら意味ありげな微笑みを浮かべている。掌の線をたどりながら、さりげなく指輪を抜き取ろうとしているのである。まさに恋は盲目と言うべきか、若い男はかわいらしい占い師の真の狙いに気づく様子はない。

 その隣には、同じ主題を扱ったフランスの画家シモン・ヴーエの作品が展示されている。

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シモン・ヴーエ 女占い師 1618-20 キャンバスに油彩 97.5 × 134.5cm ピッティ宮パラティーナ美術館(フィレンツェ)
Gabinetto Fotografico del Polo Museale Regionale della Toscana

 カラヴァッジョの《女占い師》と構図や場面設定はよく似ているが、身なりの良い若者が低俗な職人風の男に変更されているなど、細部にアレンジが加えられている。女占い師は、自分の欲望を隠すこともしない男を冷めた目で見つつ、淡々と自分の仕事をこなしている。そして、男の背後には老婆が忍び寄り、今まさに懐から財布を抜き取ろうとしている。そう、二人の女性は共犯なのである。背後にいる老婆は、イタリアのトスカーナ地方で人をバカにする意味を含む、右手の中指と人差し指の間に親指を入れて握るジェスチャーをしている。しかも鑑賞者に向かって目配せを送っているように見えるため、絵を見ている私たちまでもが彼女たちの共犯であるかのように感じさせるようである。

 このような盗みの手口は現代でも用いられているため、現実味においてはヴーエのほうが優っているといえるかもしれない。この絵を見た後でふたたびカラヴァッジョ作品に戻ってみると、現実の風景というよりも芝居の一場面のようにも見えてくる。

 仰々しい宗教画や神話画が優勢であったルネサンス以降の作品に対し、カラヴァッジョが提示したモチーフは、酒場や路上など日常生活の舞台とそこに集うジプシーといった庶民であった。カラヴァッジョの、醜いものでもそのままに描き出す写実的な画法は、当時の人々の目には新鮮に映ったであろうと思われる。展覧会の監修者ロッセッラ・ヴォドレ氏は、それらのカラヴァッジョの作品に「時としてこちら側にせり出してくるような迫力さえ備え、それが人々を惹きつける要素となった」とコメントしている。

 実際に「女占い師」やトランプゲームでのイカサマを扱った「いかさま師」のモチーフは、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの《女占い師》やヴァランタン・ド・ブーローニュ《女占い師》、カラヴァッジョ《トランプ詐欺師》やジョルジュ・ド・ラ・トゥール《ダイヤのエースを持ったいかさま師》など、その他の画家たちが繰り返し扱っている。

強烈な光と闇を描く《エマオの晩餐》

 カラヴァッジョと聞いて誰もがイメージするのは、強烈な「光」と闇の対比ではないだろうか。「光」をテーマとしたセクションでは、理想的な光が画面全体を満たしていたルネサンス期の絵とは異なり、スポットライトのような一方向からの強い光を一点に当てられ、主人公の死、神との出会いなどのドラマチックな瞬間を切り取って浮かび上がらせるカラヴァッジョの作品を展示している。
晩年の作品は、より深い闇に満たされた静かで神秘的な雰囲気をたたえるようになる。

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カラヴァッジョ エマオの晩餐 1606 キャンバスに油彩 141×175 cm ブレラ絵画館(ミラノ)
Photo courtesy of Pinacoteca di Brera, Milan

 この晩年様式の始まりを示すのが《エマオの晩餐》である。

 《エマオの晩餐》は、1606年に決闘でラヌッチョ・トマゾーニを殺害し、ローマからの逃亡を余儀なくされたカラヴァッジョが、パトロンたちにかくまわれ各地を点々としながら描いた初期の作品のひとつである。周囲の黒く塗りつぶされた闇ともあいあまって、静かでやや緊張をはらんだ神秘的な一瞬が際立つ。本作品は『ルカの福音書』より、復活したキリストが弟子2人に祈りを唱え、パンを与えたのち、自らの身分を明かさないままふたたび姿を消すエピソードを題材にしている。

 現代のように電気のなかった時代、闇とはすべてを呑み、恐ろしいほどに静かなものであっただろう。本作品のキリストはいまにも背後の闇に溶け込んで消えてしまうようである。本作を鑑賞することによって、この場面の瞬間に立ち会うことができる。

カラヴァッジョを継承する、カラヴァジェスキたち

 「光」をテーマにしたセクションでは、カラヴァッジョの影響を受けた画家「カラヴァジェスキ」の作品も紹介している。 まず、オラツィオ・ジェンティレスキ《スピネットを弾く聖カエキリア》(1618-21)。

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オラツィオ・ジェンティレスキ スピネットを弾く聖カエキリア 1618-21 キャンバスに油彩 93 × 106cm ウンブリア国立美術館(ペルージャ)
Per gentile concessione della Galleria Nazionale dell'Umbria

 オラツィオ・ジェンティレスキ(1563~1639)はカラヴァッジョの友人の1人で、裁判の際に彼のために証言台にも立ったこともある。本展には、娘で画家のアルテミジア・ジェンティレスキ(1593〜1654以降)の作品《悔悛のマグダラのマリア》(1640中頃-50初)も出展されている。暗色の無地の背景や立体的な人物の描写、シンプルな構図にカラヴァッジョの影響を感じさせる。しかし、全体的に色調は柔らかく、カラヴァッジョに比べて優しい印象の作品である。

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール 煙草を吸う男 1646 キャンバスに油彩 70.8 × 61.5cm 東京富士美術館
© 東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom

 ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652)は、カラヴァッジョの後の世代に位置するフランスの画家である。直接の友人だったジェンティレスキと異なり、どこでカラヴァッジョの影響に触れたのかはわかっていない。炎の赤い明かりが、頬をふくらませ、燃えさしを吹く男の顔を照らし出している。この温かみのある赤い光と、それが演出する静かで神秘的な雰囲気とが、彼の画風の特色である。

 カラヴァッジョの作品は、同世代そして後続世代の画家たちを惹きつけ、大きな影響を与えた。17世紀初頭、ローマに集まった画家たちによって作品や画法が研究され、彼らがその成果を己の故郷に持ち帰ったことによって、その影響はヨーロッパ全体に波及した。しかし、「カラヴァジェスキ」とひと口に言っても、表層をなぞっただけの者もいれば、先に紹介した2人のように、自分なりに消化して、己の画風を切り開いていった者もいる。カラヴァッジョという強烈な太陽の発した光がどのように画家たちに受け止められ、彼らの糧となったか、その影響を見てとることができる。

世界初公開 カラヴァッジョの真筆《法悦のマグダラのマリア》

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カラヴァッジョ 法悦のマグダラのマリア 1606 キャンバスに油彩 107.5 × 98.0cm 個人蔵

 そして、今回来日した作品のなかで特筆すべきは、《法悦のマグダラのマリア》(1606)である。カラヴァッジョがポルト・エルコレ(イタリア)で熱病に倒れて死ぬときに携えていた3点の作品のうちのひとつとされ、長い間その行方がわからなかった。しかし、2014年に再発見され、ロベルト・ロンギ美術史財団代表のミーナ・グレゴーリによって真筆と認められた。暗闇のなか、斜め上方からの光によって聖女の白いからだが浮かび上がる。飴色の頭蓋骨に寄りかかり、天を仰ぐ彼女の目からは一筋の涙がこぼれる。今彼女は何を見、何を思っているのか。一度この絵の前に立つとしばらく目を離せなくなる。不思議な魅力をたたえた作品である。

 展示室内には別の画家による「マグダラのマリア」が展示されているが、その性格はまったく異なる。アルテミジア・ジェンティレスキの《悔悛のマグダラのマリア》は裸婦を描く口実として主題を選んだと推察され、ジョバンニ・フランチェスコ・グエリエーリの《悔悛のマグダラのマリア》(1611)には彼女のアトリビュートである香油壺や「罪深い過去」を象徴する贅沢品といったアイテムが大量に描き込まれている。

 カラヴァッジョの《法悦のマグダラのマリア》は、ローマからの逃亡後、パトロンたちに罪の許しを求めるために描かれたものとされる。逃亡中も、カラヴァッジョに手を差し伸べてくれるパトロンや友人は多くいた。しかし、トラブルを起こすなどして、決してひとつの場所に安住することはできなかった。1610年、ついに赦免されるとの知らせを聞き、ローマに向かう途上で、彼はその生涯を閉じる。

「天才」カラヴァッジョをめぐる証言とその人物像

 すべてのセクションにわたり、同時代の証言を文献やパネルを用い、カラヴァッジョの人となりや創作姿勢を紹介している。カラヴァッジョというと、その凶暴で攻撃的な性格がクローズアップされやすい。斬首などの血なまぐさいモチーフや描き方からも、凶暴な性格の片鱗がうかがえるというのもあるだろう。実際にローマを出るきっかけとなった殺人事件の他にも、傷害沙汰や武器不法所持、公務執行妨害など、犯罪記録は20近くにものぼり、危険人物と言っても過言ではない。

 その一方で、カラヴァッジョは画家として独自のポリシーを持っていた。「師を持たない」ことや「自然をあるがままに描く唯一の画家」と自負していたことが、同時代の記録に残っている。

 出品されている文書の一つ、「カラヴァッジョの借家(1604年5月8日)」では、カラヴァッジョが当時受注していた大型の祭壇画制作に向けて、天窓からの光を取り入れるために1階の天井を半分取り壊す許可を得ていた、というエピソードが紹介されている。(なお、この場面はアンジェロ・ロンゴーニ監督の映画『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』(2007)でも再現されている。)

 しかし、カラヴァッジョ自身の信念や技量に対する自信と誇りが、時に傲慢さとなって表出し、トラブルの引き金となったとも言えよう。だがそれもまた、今でも多くの人々を惹きつけてやまない彼の魅力であるのかもしれない。

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「カラヴァッジョ展」の展示風景

 カラヴァッジョは40年にも満たず人生の幕を閉じたが、その短い生涯がで彼が作り上げた画法は多くの画家たちに影響を与え、ヨーロッパ美術においてひとつの大きなうねりをつくり出した。それが、まさに「天才」と謳われる最大の理由であろう。ぜひ実際に足を運んで、本展でカラヴァッジョの偉大さと強烈な個性を体感してほしい。



日伊国交樹立150周年記念
カラヴァッジョ展
会期:2016年3月1日~6月12日
会場:国立西洋美術館
住所: 東京都台東区上野公園7−7
電話番号:03-5777-8600
開館時間:9:30~17:30(金曜日のみ 9:30〜20:00)
※入館は閉館の30分前まで
休館日:月(ただし、5月2日は開館)
入館料:一般1600円/大学生1200円/高校生800円
URL:http://caravaggio.jp

ギタリスト・笹久保伸が探る「秩父の前衛」 ナオナカムラで個展

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美学校出身の中村奈央による展覧会スペース「ナオナカムラ」(東京・高円寺)のオープン5周年記念企画として、笹久保伸の個展「秩父前衛派」が開催される。ペルーと日本で活動するギタリストでもある笹久保による、郷土・埼玉県秩父地方についてのフィールドワークに基づく作品を展示。会期は4月20日〜26日の7日間。

 1983年生まれの笹久保伸は、現代音楽とアンデス音楽を演奏する音楽家であり、アーティスト。幼少期を過ごしたペルーの文化に影響を受け、フィールドワークによって素材を収集しながら、民族音楽の枠にとどまらない音楽作品を発表してきた。これまでに国内外で20枚以上のCDをリリースし、各地で演奏会を開催するかたわら、アーティストとしても活動。近年では、飴屋法水と椹木野衣による戯曲『グランギニョル未来』(2014、ヨコハマ創造都市センター)に出演、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」(2015)に作品を出品したほか、現在は「瀬戸内国際芸術祭2016」の小豆島エリアで作品を発表している。

「秩父前衛派」とは、笹久保が「郷土」をテーマとして2008年に開始した芸術運動の名称だ。山に囲まれた閉鎖的な地理条件のもと、独自の信仰や歴史、文化が根付く秩父地方に「前衛性」を見出し、調査研究を行ったうえで作品としてアウトプットする。これまで、メンバーを入れ替えながら、年間400以上にものぼる秩父地方の祭事、絹やセメントに代表される産業、歴史や民謡などについてリサーチを行い、音楽、映画、写真などを制作、発表してきた。

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笹久保伸 秩父前衛派・図形楽譜 2014 シルクスクリーン

 笹久保の個展として企画された本展で展示されるのは、8ミリフィルムによる映像作品や未発表の写真作品、シルクスクリーンで制作された「図形楽譜」など。秩父地方に生きる人々とその文化に寄り添いつつ、客観的な目線で制作された作品群が発表される。会場となるのは、1990年生まれの中村奈央がディレクターを務める展覧会スペース、素人の乱12号店「ナオナカムラ」。

笹久保伸 個展「秩父前衛派」
会期:2016年4月20日~4月26日
会場:素人の乱12号店「ナオナカムラ」
住所:東京都杉並区高円寺北3-8-12 フデノビル2階
電話番号:080-4347-1887
開館時間:13:00~20:00
URL:http://naonakamura.blogspot.jp/

【占星術的アート鑑賞⑫】牡羊座・ラリックは◯◯なデザイナー?

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アートに触れるきっかけとして、12星座ごとにアーティストの作品と生涯を紹介してきた当コラム。2015年5月に牡牛座からスタートし、今回の牡羊座が最終回となります。牡羊座(3月21日〜4月20日)のアーティストとしてご紹介するのは、ジュエリーとガラス工芸品のデザインで活躍した、ルネ・ラリック。

 ルネ・ラリック(1860〜1945)は、19世紀の末から20世紀前半にパリで活躍した宝飾デザイナーであり、ガラス工芸家です。アール・ヌーヴォーからアール・デコへ、ラリックは2つの時代の様式を牽引したアーティストでした。

先頭を走り続けた時代の牽引者

 黄道十二宮のトップバッターであり、火星を守護星とする牡羊座は、エネルギッシュで瞬発力のある星座です。牡羊座の闘争心に火がつくと誰にも止められないでしょう。何ごとにも直球勝負。新しい事業をたち上げるときなど、物怖じせずガンガン突き進められる人が多いので、頼もしいリーダーシップを発揮します。また、しばしば特定の分野のパイオニアになります。

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© ICUCO MIZOKAMI
ICUCO MIZOKAMI Website

 ルネ・ラリックは生涯を通じてノンストップで前進し続けたアーティストでした。16歳のときに父を亡くしたラリックは、母の勧めでパリの宝飾職人に弟子入りし、18歳でロンドンへ留学。10代の最も多感な時期に英仏の最先端の文化に触れながらそのセンスを研ぎ澄ませ、22歳でジュエリー作家として独立します。やがて1900年のパリ万博への出展で注目を集め、ジュエリー作家としての地位を確固たるものとしますが、ラリックはその成功にあぐらをかくことはありませんでした。

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ルネ・ラリック チョーカーヘッド「流れる髪の女」 1898〜1900頃
写真提供=箱根ラリック美術館

 渡航先のアメリカでジュエリー制作の将来に限界を感じていたラリックは、香水商のコティから香水瓶のラベルデザインの相談を持ちかけられた際に、香水瓶の制作をも買って出ます。そして、このコティとの出会いをきっかけに、ガラス工芸家へと転身。パリ近郊とアルザスの2か所でガラス工場を経営し、次々と質の高いガラス作品を生み出し、また晩年には室内装飾にも注力しました。

揺るぎないアイデンティティ

 黄道12宮の第1番目、春分の日を基準とする牡羊座は、ものごとの始まりや誕生を象徴します。牡羊座のキーワードは「I am」。牡羊座の人は、この世界に存在するということ、自分が自分であること、その奇跡と価値をもっともよく自覚していると言えます。

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ルネ・ラリック 香水瓶「三羽のツバメ」 1920
写真提供=箱根ラリック美術館

 ラリックのジュエリーの革新性は、美しいデザインと技術によって宝飾品の価値観を根底からくつがえした点にあると言えます。それまでの宝飾品は、使用されている宝石の価値で計られていました。しかしラリックは、入手しやすい半貴石と呼ばれるオパールやアクアマリンなども積極的に用いながら、アール・ヌーヴォー特有の優美な曲線を多用し、動植物のモチーフを華やかにあしらったデザインのジュエリーで、人々を魅了したのです。また、香水のボトルに意匠を凝らすという発想も、当時は先進的でした。

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ルネ・ラリック ブローチ「シルフィード」 1897〜99頃
写真提供=箱根ラリック美術館

 若い頃には、大手ジュエリーメーカーに匿名で納品する仕事も多かったラリックですが、そこには常に作品のオリジナリティ、一人の作家としてのアイデンティティに対する誇りがあったように思われます。モノの価値だけでなく、そこに注ぎ込まれた人間の才能に然るべき対価があることを、ラリックは確信していたのでしょう。人間の発想や技術が新たな価値を生み出し、生活を豊かなものにすること。ラリックは、生涯を通じてそれを証明した芸術家だったと言えるのではないでしょうか。

もっと知りたい! 本物に会いたい! ラリック作品を所蔵する美術館

 箱根ラリック美術館は、ルネ・ラリックのジュエリーやガラス作品を堪能できるだけでなく、室内装飾も体感できる空間です。所蔵品は実に1500点。同館敷地内にあるレストランには、ラリックが内装を手がけたオリエント急行のサロンカーも展示されており、日本にいながら、100年前のヨーロッパ旅行の気分を味わうことができます。

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箱根ラリック美術館展示室内 写真提供=箱根ラリック美術館

 開館10周年を迎えた2015年は、ラリックとミュシャという同世代の芸術家2人を取り上げた「ミュシャとラリック」展、「愛のヒントが見つかる美術館 初恋から家族愛までカードが導く30のストーリー」と題してラリック作品に潜む愛のストーリーを紹介した展覧会など、ユニークな企画展を開催。ぜひ美術館でラリックの世界を心ゆくまで楽しんでみてください。

箱根ラリック美術館
会場:箱根ラリック美術館
住所:神奈川県足柄下郡箱根町仙石原186-1
電話番号:0460-84-2255
開館時間:9:00〜17:00(入館は閉館30分前まで)
休館日:なし(展示替えのための臨時休館あり)
URL:http://www.lalique-museum.com

小沢剛が子どもたちの「好きな人」を描く絵画展が開催中

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アーティスト・小沢剛が手がける子どもたちのためのプロジェクト、通称「ふとん山」から派生した展覧会が、MISA SHIN GALLERY(東京・白金高輪)で6月4日まで開催されている。福島県の子どもたちが描いた絵をもとにした、絵画作品約30点が展示される。

 小沢剛は、牛乳箱を「超小型の貸し画廊」にした《なすび画廊》(1993)や、野菜でつくられた武器が登場するポートレート写真《ベジタブル・ウェポン》(2001-)などで知られるアーティスト。近年では、野口英世や藤田嗣治をモチーフとし、フィクションを交えながら歴史を再考するシリーズを発表しているほか、4月29日からは金沢21世紀美術館にて、チェン・シャオション、ギムホンソックとのコラボレーションチーム「西京人」としての展覧会が予定されている。

 本展タイトルの「あなたが誰かを好きなように、誰もが誰かを好き」とは、小沢が2005年より継続している、大量のふとんでできた巨大な「山」のプロジェクトを指す。子どもたちはこの「山」で自由に遊ぶことができ、頂上に設けられたポストに「好きな人の顔」の絵を描いて投函すると、別のまちで「ふとん山」を訪れた子どもに届けられる。これまでに東京やバンコク、ブリスベンなどを会場としてきたほか、放射線量の高い地域に住む子どもたちに安全な遊び場を提供するため、2012年以降、福島県内の3か所で開催されている。

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小沢剛「無題ーあなたが誰かを好きなように、誰もが誰かを好き」展(2015) Photo:木奥恵三 Courtesy of MISA SHIN GALLERY

 本展で展示されるのは、このプロジェクトで集められた絵をもとに制作された絵画作品だ。今年2月、福島県の南相馬市民文化会館「ゆめはっと」で子どもたちが描いた「好きな人」の絵を、小沢自身がグラデーションに彩色された画面に模写。「好きな人」の目線の高さには白いラインが施されており、並べて展示することで、一筋の光のようなイメージが表れる。

小沢剛「あなたが誰かを好きなように、誰もが誰かを好き」
会期:2016年4月15日~6月4日
会場:MISA SHIN GALLERY
住所:東京都港区白金1-2-7
電話番号:03-6450-2334
開館時間:12:00~19:00
休館日:日、月、祝日
入館料:無料
URL:http://www.misashin.com/

ゴードン&モンクがTARO NASUで食事がテーマの新作発表

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イギリスのアーティスト、ダグラス・ゴードンとジョナサン・モンクが、TARO NASU(東京・馬喰横山)にて共作展を開催中。食事をテーマに、2人が過ごした時間を見る人に追体験させる作品などを発表している。

 ダグラス・ゴードンとジョナサン・モンクは、ともに1960年代にイギリスで生まれたアーティスト。ゴードンは、映像を中心に写真、絵画、テキストなど幅広いメディアを用いて、見る人の固定観念を揺さぶる作品を発表している。モンクは、近現代美術史上の作品をモチーフとするなど、模倣の手法を取り入れた作品で知られる。

 本展の中心となるのは、ネオンを使った共作。ベルリン市内に実在するレストラン「PARIS BAR」で2人が注文した料理や飲み物の名前をかたどったネオンが、運ばれてきた順番に、皿が下げられるまでの時間だけ点灯する。すべての作品を鑑賞するためには、観客も必然的に2人の食事と同じだけの時間を過ごすことになる。

 ゴードンの代表作にはヒッチコックの映画を引き伸ばして再生する映像作品《24 Hours Psycho》(1993)があり、モンクは過去の展覧会DMと当時の家族写真を組み合わせた《The Same Time in a Different Place》シリーズを制作している。ともに時間の概念をテーマとして扱ってきた2人の新たな試みともいえる本展は、東京・馬喰横山のTARO NASUにて、5月14日まで開催。

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Douglas Gordon & Jonathan Monk Paris Bar 2016 © Douglas Gordon & Jonathan Monk Courtesy of TARO NASU Photo by Keizo Kioku

ダグラス・ゴードン & ジョナサン・モンク「PARIS BAR」
会期:2016年4月8日〜5月14日
会場:TARO NASU
住所:東京都千代田区東神田 1-2-11
電話番号:03-5856-5713
開館時間:10:00~18:00
休館日:日、月、祝日
URL:http://www.taronasugallery.com/index.html

山内宏泰インタビュー①:「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展

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2013年4月にリアス・アーク美術館(宮城・気仙沼)でオープンした常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」。目黒区美術館でのサテライトとして、この常設展を編集した「気仙沼と、東日本大震災の記憶」展の開催に寄せて、リアス・アーク美術館の山内宏泰学芸員にインタビューを行った。当時の被災現場やこれからの美術館について語ってもらったなかから、自身も被災しながらも敢行した震災現場の取材、異例の展示方法を試みた震災の記録展、そして今後の災害対策についてお送りする。

写真に添えた長文のエピソードで伝えたかったこと

──本展は、リアス・アーク美術館の常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」を編集したサテライト展覧会として開催しています。この常設展はこれまでにもさまざまな場所で巡回展示されてきました。一つひとつの被災現場写真と対となる、撮影時のエピソードを盛り込んだ長文のキャプションが印象的です。客観的な説明だけではなく、撮影者の所感をキャプション中で表現するなど、このような展示方法にいたった経緯を教えてください。

 今回の展示は、私自身も含め東日本大震災で被災したリアス・アーク美術館学芸員たちが、2年にわたり命懸けで震災の取材をし、そこで身をもって経験した、感じた、発見したことを、地域の未来のためにどうしても人に伝えなければならない、と行き着いたかたちです。それは被災地で被災者が生きた2年間の記録そのものであり、地域の未来のために正しく伝え活用されなくてはなりません。なぜなら人の命に関わることだからです。それを頭で理解するというよりも、どうしたら身体的に理解してもらえるのか。身体が震えるような、気がついたら涙が出てくるような感覚にさせることができるのか。そのぐらいでなければ、我々が経験した1/100も伝えられないと思いました。これは展示自体が「目を背けるな」そして「覚えなさい」と、ある意味その感覚を強要しています。

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目黒区美術館での展覧会会場風景 撮影=後藤充 写真提供:目黒区美術館

 被災現場写真は、最初は現場のことを伝えようと思って撮っていたのですが、写真を見返したときに、その写真の伝えたい部分がさっぱりわかりませんでした。写真は情報量が多すぎて、どこを見ていいのかわからないのです。だから、我々が撮影した写真ひとつひとつに、なぜこの写真を撮ったのか、どこを見て何を考えてシャッターを切ったのか、と長い説明をつけました。その理由を明らかにせずには、あの異常な経験をしなかった人の目にはただの被災地の風景にしか映らず、何も伝わらないからです。だから、写真だけでは伝わらない「匂い」や「身の危険」を記し、生身の人間によって撮影されていることを文章で表現しました。

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2011年4月25日、気仙沼市弁天町の状況。水産会社超低温冷蔵庫内の様子。冷凍保存されていたサンマが自然解凍され、腐敗が進んだもの。町全体が魚の腐敗臭で満たされていたが、その大元となると匂いのレベルが違う。二重にマスクをしていても気絶しそうなほど強烈な悪臭だ。体が震えだし、身の危険を感じた。しばらくサンマが食べられなくなった。110Y

 被災地の外部からやって来た報道陣が、ピカピカのスニーカーを履いて望遠レンズで撮影をしているなか、我々は着の身着のまま泥まみれになって現場を歩いていました。その人間の感覚は、文章を読んでもらわないとわかりません。むしろ、そのために写真は添えてあるという感じです。通常であればクレームが出るほど文字量の多いキャプションですが、時間をかけて展示を見てくださっている方が多く、読み始めると意外にも全部読めてしまうという声がよく寄せられます。鑑賞者が目で見て、感じて、自分の身に置き換えて考えてもらう。我々の目的はそのことに尽きます。

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2011年3月29日、気仙沼市浜町(鹿折地区)の状況。津波被災現場を歩くと、目にする光景の非現実性、あまりの異常さに思考が停止してしまう。常識に裏付けられた論理的な解釈ができず、一瞬、妙に幼稚な思考が顔をのぞかせる。「巨人のいたずら...」、などと感じたりするのだ。実際、そんな程度の発想しかできないほどメチャクチャな光景が果てしなく続いていた。136SY

──リアス・アーク美術館での東日本大震災の常設展は、2013年4月オープンから3年が経ちますが、観客の反応はこの3年で変わりましたか?

 そうですね、この展示に対してけっして肯定的とは言えない意見が一昨年夏くらいから出始めました。そのやり玉に挙げられるのは、被災物に添えられたハガキの文章です。ハガキに綴られた文章は、被災者の言葉の「聞き書き」のようですが、実は創作された物語です。様々な被災者の人たちと語り合うなかで得られたエピソードをベースに私がリライトしています。客観性を重んじている博物館学的な立場から、展示にフィクションが入り込んでいいのか、と批判されることがあります。

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「炊飯器 2012.2.2気仙沼市朝日町」
 平成元年ころに買った炊飯器なの。じいちゃん、ばあちゃん、わたし、お父さんと息子2人に娘1人の7人だもの。
だから8合炊き買ったの。そんでも足りないくらいでね。
 今はね、お父さんと2人だけど、お盆とお正月は子供たち、孫連れて帰ってくるから、やっぱり8合炊きは必要なの。
普段は2人分だけど、夜の分まで朝に6合、まとめて炊くの。
 裏の竹やぶで炊飯器見つけて、フタ開けてみたら、真っ黒いヘドロが詰まってたの。それ捨てたらね、一緒に真っ白いごはんが出てきたのね・・・夜の分、残してたの・・・涙出たよ。

 しかし、被災物を客観的に展示しようとすると「壊れた炊飯器、収集日時・場所」と、見れば明らかな無意味な情報しか提示できません。でも重要なのは、どうしてそれを収集しなければならなかったか、という理由です。実際に現場で足下を埋め尽くす日用品を目にしたとき、まるでその一つひとつが語りかけてくるようでした。まさにあのハガキに綴られたような物語が思い起こされるのです。そして、その物語は被災してすべて失ってしまった人たちみんなが共有しているものなのです。それらを「瓦礫」と呼ぶことにすごく抵抗を感じていて、「被災物」という言葉をつくりました。展示では被災物を目にしたとき、自分の中の似たような経験とリンクして、まるで自分のことのように感じて考えてもらうよう、主観的でストレートな文章を被災物に添えて、ものが語りかけてくるような演出をしました。

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「タイル片 2012.3.30~4.20気仙沼市・南三陸町各所」
 津波っつうの、みな持ってってしまうべぇ、んだがら何にも残んねえのっさ・・・
 基礎しかねえし、どごが誰の家だが、さっぱり分かんねんだでば。そんでも、玄関だの、風呂場だののタイルあるでしょ。あいづで分かんだね。俺もさぁ、そんで分かったのよ。手のひらくらいの欠片でも、家だがらねぇ。
 残ったのそれだけだでば。

 私自身が被災して身の回りのものを失って初めて知ったのは、人は記憶の多くをモノに宿して保管しているということでした。また、記憶の媒体を一度に全部なくしてしまうことの恐ろしさを痛感しました。生活の記憶が宿る身の回りのもの一つひとつの総体として家があり、街があり、その積み重ねとして地域の文化ができるのです。私に言わせれば、身の回りの日用品こそ地域の文化や記憶を支える文化財なのです。

自然との共存による減災

──山内さんは大震災の5年前である2006年に、1896(明治29)年に発生した大津波の報道画を紹介した企画展「描かれた惨状 ~風俗画報に見る三陸大海嘯の実態~」を開催したり、2008年には小説『砂の城』を執筆されたりと、これから起こるであろう震災について警鐘を鳴らそうと精力的に活動されていました。本展でも展示されている三陸大海嘯の記録を見ると、今回の震災でも驚くほど同じような光景になっていることがわかります。津波が来ることがわかっていて、それを伝える作業をしながらも、ふたたび大きな被害を被ってしまったという事実について、それに対する山内さんの心境や震災後の取り組みについてお聞かせください。

 今まさに今後の対策について取り組んでいます。一般論では、高い壁をつくれば津波の被害を防げると言われていますが、被災地の人間からしてみると、愚案としか言いようがありません。そのような計画に反対し続けていましたが、ここはあえて一度受け入れて、その状況でやれることを先んじて考えていこうと思っています。

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山本松谷 「海嘯の惨害家屋を破壊し人畜を流亡するの図」 
臨時増刊風俗画報第119号掲載。大海嘯被害録 明治29年7月25日発行の口絵。
端午の節句を家族で祝っていた。波に飲まれる兜が空しさを感じさせる

 私が提案しているのは、自然と戦おうとするのではなく、地球環境との付き合い方や関係性をもう一度考え直すということです。人間は地球の恩恵を受けて生かされているのであって、極端にいえば地球に寄生しています。そこで、人間側から自然に対してプラスにならなくとも、マイナスを減らすことはできないか、ということです。

 今回の震災で壊滅的な浸水被害を受けた地域はほぼ埋め立て地でした。象徴的だったのは、気仙沼の内湾からあふれ丘まで侵入してきたヘドロです。あのヘドロは人間が流し続けてきたもので、実は津波によってすべて放出された後に内湾はきれいになりました。ここからわかることは、人間勝手に環境や地形を変えた場所が自然の営みである津波によって崩壊したということです。

 自然観《自然災害》


 何らかの異常な自然現象によって引き起こされる災害を自然災害という。つまり、異常な自然現象そのものが災害なのではない。自然災害は自然現象によって「引き起こされる災害」である。災害とは様々な原因によって、人間社会や人命がうける被害を言う。
 津波は確かに人間からすれば異常な自然現象である。しかし、自然界では異常とも言えない、常に起こってきた自然現象とも言える。
 人間の力で津波をどうにかすることなどできない。津波という自然現象を災害化しないためには、人間が変わるしかない。「キーワードパネル」より引用

 私たちは自然災害によって壊れてしまうような文化の中で暮らしています。裏を返せば、そのような危うい文化をつくってきてしまったんです。本来であれば自然に対して畏敬の念を持ち、過剰な搾取はぜず、与えられる恵みに感謝しながら生活する。それがもともとのリアスの暮らしとして存在していたはずなのです。それは環境を壊しては生きてはいけない暮らしであり、そこには守らなければならないルールがあります。これからはこのような自然を重んじた文化や環境に戻していかなくてはならないと考えています。

 そこで要になるのは、浅瀬など陸と海の間の中間領域です。高度経済成長期の頃から大型船が入港できるよう浅瀬は掘られて整備されてしまいました。でも、浅瀬は津波の勢いを解消する重要な役割を担っているのです。だから浅瀬を復活させるなど、今こそ環境との付き合い方をもう一度見直さなくてはなりません。なぜなら地震と津波は必ずまた発生し、このままではより大きな被害をもたらすかもしれないからです。そして、それらの自然現象自体を防ぐことは人間には不可能です。だから「防災」ではなく、「減災」を考えるべきなのです。例えば浅瀬を元に戻し、居住地域をその背後につくるだけでも大幅に減災が実現できるはずなのです。

 私たちは現状に対する警鐘として「津波で街が壊れた。壁がつくられることで、今度は地域の文化が壊れる」と言っているのです。

 情報《想定外》


  想定外という言葉は、未曾有という言葉と共に震災発生直後から濫用された。想定外の反対語は、当然ながら想定内ということになる。
 東日本大震災で想定外と表現された被害が、本当に想定外だったとすれば、私たち現代人はあまりにも愚かだ。なぜなら、歴史上の事実から判断して、東日本大震災大津波と同等の大津波が太平洋沿岸部を襲う可能性は想定されていて当然だった。それが本当に想定されていなかったというのなら、それは愚かとしか言いようがない。
 しかし、膨大な歴史記録物と、科学的研究成果と、現代のテクノロジーがあって、「知らなかった」ということはありえない。そこまで愚かなはずがない。
「実際には想定できていたのだ。それをあえて想定から外していたのだ。その事実を隠ぺいするためには想定外と言うしかないのだ...」、そう考えざるを得ない。どちらにしても愚かだ。
 東日本大震災で起きてしまった出来事で、人間の想像を超えた未知の出来事などほとんど起きていない。人類の長い歴史の中で、何度も経験してきたはずのことが繰り返されただけである。ならば想定できたのではないか。 「キーワードパネル」より引用

 この問題は個人的・局地的なものではなく普遍的なものです。今回の展示でいうと、客観的な説明を綴った「キーワード」パネルにて、これが普遍的な課題であるということを提示しました。地震や津波の被災地でなくとも、環境破壊による異常気象の影響を受けているという現実がある。いつどんなときにも、この地球上にはあらゆるところに災害の種が潜在しているという事実です。そう考えると自然災害では片付けられない。災害を生んでいるのは人間なのです。

世代を越えて伝える「文化」の役割

──今後ふたたび津波がやってくるのは確実だとしても、そのサイクルが100年単位であった場合、津波を経験した語り部がいなくなってしまう恐れがあります。世代を越えて伝えるという課題について、どのようにお考えでしょうか?

 そうですね。人はやっぱり忘れます。震災を経験しない世代は知らないので忘れようもありませんが。知らないのであれば覚えさせなくてはならない。けれども覚えさせなくてはならないことを忘れていってしまうのです。

 ただひとつ忘れない方法があります。それは津波が来ても大丈夫な「文化」をつくることです。そこで私が提案しているのは、避難訓練ではなく、「物まね行事」のようなお祭りをつくるということです。

 例えば、お祭りでは全身真っ黒に塗った若者が海から地域の人たちを追いかけ回し、独居老人や小さい子供を担いで連れて、捕まらないように高台まで逃げるようにする。辿り着いた高台には食糧が備蓄してあって、それをみんなで調理してみんなで食べて、また新しいものと入れ替える。毎年その行事に参加していれば、いざ津波が来てもみんな高台に避難することができ、避難訓練よりもずっと効果があります。

 祭りをする理由や参加する意義はわからなくたっていいのです。この街に生まれて育っていたらそれは文化として当然であり、疑問にも思わなくなるのが理想です。世代を越えて伝えていくためには文化まで昇華させることが大切です。そのためにはやはり100年くらいはかかります。最初は行事に人が集まらなくとも、10年、20年やっていると徐々に定着してきて、世代が変わったときに慣習として根付いていく。それまでにはおそらく祭りや土地が肌に合わなく、その街を去っていく人もいるでしょう。そうやって100年かけて新しい文化をつくっていくということが、地域の未来にとって最も重要なことではないかと私は考えています。

リアス・アーク美術館=写真・テキスト

気仙沼と、東日本大震災の記憶
ーリアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史ー
会期:2016年2月13日~3月21日(終了)
場所:目黒区美術館



東日本大震災の記憶と津波の災害史
場所:リアス・アーク美術館(1F常設展示)
住所:宮城県気仙沼市赤岩牧沢138-5
電話番号:0226-24-1611
開館時間:9:30〜17:00(最終入館 16:30)
休館日:月、火、祝日の翌日(土日を除く)

アジアのミニマリズム。韓国単色画の作家、朴栖甫が個展を開催

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韓国単色画(Dansaekhwa)はここ数年、アートマーケットから急速に注目を集めている、1970年代韓国の重要な美術潮流だ。この単色画の代表的な画家である朴栖甫(パク・ソボ)の個展が東京画廊+BTAPで開催され、「エクリチュール」シリーズの新作が展示される。

 韓国単色画(Dansaekhwa)は、韓国で独自に発展した抽象画のジャンルだ。西欧で発展したミニマリズムの影響を受容する過程で、韓国文化における精神的な価値を加えて再解釈され、現在では韓国固有のまったく新しいジャンルとして、同時代の美術動向でもある日本の「もの派」と並び、世界で高い評価を集めている。

 単色画を代表する作家である朴栖甫は、1931年に韓国に生まれ、1961年のパリ滞在を経て画家としてのキャリアをスタートした。韓国伝統の製紙技術でつくられる韓紙を用いたモノクロームの線画など、様々なメディアや技法を試みながら作風を展開させている。

 フランス語で「書く」ことを意味する「エクリチュール」シリーズは、1967年から継続して制作されている。今回展示する新作は、韓紙を重層的に用いて、指や機具で表面に縦のストライプの起伏がつくられているのが特徴だ。

 朴栖甫は1970年代から日本でも活動を展開しており、東京画廊での個展開催は今回で6回を数える。その歴史を踏まえ、1978年から2000年までに開催された朴栖甫の個展をあらためて図版とともに振り返るカタログも出版。美術評論家の峯村敏明の評論も掲載する。

第6回 朴栖甫個展「Empty the Mind: The Art of Park Seo-Bo」
会期:2016年3月30日~5月14日
会場:東京画廊+BTAP
住所:東京都中央区銀座8-10-5 第4秀和ビル7階
電話番号:03-3571-1808
開館時間:火~金 11:00〜19:00 土 11:00〜17:00
休館日:日、月、祝休
URL:http://www.tokyo-gallery.com/

山内宏泰インタビュー②:東北の若手支援と美術館のこれから

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発生から間もない東日本大震災の被災現場を取材し続け、記録を地域の未来に生かそうと、異例の展示方法を試みたリアス・アーク美術館(宮城・気仙沼)の常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」。同館の山内宏泰学芸員へのインタビューにて、被災現場写真に添えた長文のエピソードや「被災物」ストーリーの創作、そして自然との共存による「減災」について語ってもらった。今回は、リアス・アーク美術館のその他の活動について、また自身の考える学芸員やこれからの美術館のあるべき姿についてお届けする。

東北の若手作家を支援する地域型美術館

──リアス・アーク美術館の常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」が話題を呼んでいますが、美術館自体やその他の活動について教えてください。

 1994年に開館してからこれまで年間約10本の企画展を開催していて、この規模と予算の美術館としては、驚異的な数の事業を展開しているのではないでしょうか。以前は地元の人やリピーターのお客さんがほとんどで、来場者は多くて年間3.6万人でした。しかし震災後、美術館の客層や動員が劇的に変化しました。震災の2年後に再オープンした2013年には約7万人の動員を記録し、お客さんの大部分が地元の外部から訪れています。

 そのため震災後はすっかり美術館そのものの存在意義が大きく変わってしまいました。めったに人が来なかった2〜3月に、近年では大量の人が訪れるようになりました。以前は地元の子どもたちの公募展を開催していましたが、多くの人が訪れる震災のあったその時期にこそ美術館としての仕事を見てもらいたいと思い、2015年度から東北・北海道在住の若手作家の個展シリーズ「N.E.blood 21」の開催時期を変更しました。

 「N.E.blood 21」は東北・北海道の気質、21世紀という意味の個展シリーズで、年間を通じて2002年から毎年開催しています。この10年間で60人近くの作家を紹介してきました。立ち上げたきっかけは東北には若い現代美術の作家が作品を発表できる場が極端に少なかったからです。発表の場を求めて作家が地元を離れていってしまうばかりでは、地方の芸術文化の先行きが思いやられる。それなら私が企画しようと思い立って始めました。

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「N.E.blood 21 Vol.57 齋藤ナオ展」の展示風景 撮影:リアス・アーク美術館

 出身や国籍は問わず、現在東北・北海道在住で制作活動をしている作家を対象としています。条件は、頑張っているのに報われていない作家。質の高い作品を制作し、将来も作家として活動していくと思われるのに、発表の機会がないために地元から離れざるをえない。そんな才能を持った作家の流出を防ぎ、彼らが活躍してく足がかりをサポートしていきたいという思いで取り組んでいます。

 若手の人たちには作家の必要条件として「作家としての社会的役割の認識」と「作品を見せる責任」を伝えています。作家業というのは基本的に自営業だと私は思っています。だから自分で作品について文章を書き、自分で歩いて自分の作品を営業するのは当たり前のことです。そして、自己満足の表現に陥ることなく人に作品を見せる以上は「見せる責任」を自覚しなくてはなりません。まして公立美術館として税金を使っているリアス・アーク美術館での企画展ではなおさらです。

──2002年に「N.E.blood 21」シリーズが開始されてから10年以上経ちますが、東北・北海道の作家たちを取り巻く環境はどのように変化しましたか?

 リアス・アーク美術館の「N.E.blood 21」では、作家に展覧会への参加の打診をし、作品制作、搬入、撤収と作家にすべて担当してもらいます。そして、個展を開催してくれたことに対して謝礼をお支払いしています。作家に作品制作のみを依頼する公立美術館が多いなか、リアス・アーク美術館の「N.E.blood 21」は、ほかに例をみない運営をしていると思います。実を言うと、美術館側から作家を探すことはめったになく、作家が作家を紹介して積極的に参加してくれています。そうやって東北の作家同士のネットワークが構築されていきました。

 「N.E.blood 21」が立ち上がる前は、東北の作家たちはみんな孤独に作家活動をしていたようです。このシリーズによって同じような仲間が活動していることを知り、作家同士で刺激しあったり、相乗効果がありました。立ち上げ当時は東北在住のみでしたが、その後も北海道の作家から参加したいという要望があり現在に至ります。実はリアス・アーク美術館のある三陸と北海道には文化的な境界がありません。そのため今では同じ文化圏として東北・北海道と一括りにして開催しています。

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「N.E.blood 21 Vol.57 齋藤ナオ展」の展示風景 撮影:リアス・アーク美術館

 地元の作家と美術館の関係をきちんと築いていき、作家が地元で作品制作をして発表、そしてその活動を地元の美術館がバックアップする。将来的にもこのようなサイクルを循環させていきたいと思っています。

 「N.E.blood 21」で紹介した若い作家たちもいずれ成長して中堅どころの立派な作家になっていきます。初年度に紹介した作家は今ではもう40代後半の年齢です。そこで折に触れて展覧会への出品をお願いすると、皆さん喜んで引き受けてくれます。恩返しの気持ちということもあるかもしれませんが、そんな作家たちが美術館にとって大きな財産です。だから若手作家がやがて立派な作家になった時に、「原点はリアスだったんだよ」って言ってくれることが美術館としての本望です。

「表現者」である学芸員

──専門的な研究活動に従事される学芸員が大半のなか、山内さんのような美術館学芸員さんというのは、従来の役割とはまた違う、展示を通じて新しい表現を生み出していく立場というような印象を受けます。ご自身ではどう考えていますか?

 そうですね。でもそれはもともとなのです。私自身が作家活動をしているというのもあって、展示解説のイラストも私が描いています。でも確かに、街の観光解説看板のイラスト作画など、何から何まで学芸員が引き受けるのは普通では考えられないと思います。だから気仙沼では、恥ずかしながら「天才山内君」と呼ばれることもあります。おそらく地元の人にとって私のような学芸員はみんなの思いをかたちにするシャーマン的な存在なのかもしれません。誰しもまちづくりにアイデアや思いは持っているけれど、それを具体的に可視化したり実現することができない。でも、私は彼らの想像を越えてものをかたちにすることができるから、頼られるのだと思います。だから、むしろ気仙沼では一般的な学芸員の仕事について知らない人が多いのではないでしょうか。

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目黒区美術館での展覧会会場風景 撮影=後藤充 写真提供:目黒区美術館

 私が思う学芸員とは、人とのコミュニケーションを必要とする「伝える」仕事であり、展示というのはものを使った「表現」です。そして美術館は新しいものを「生み出す」場所です。リアス・アーク美術館では館内のほぼすべての展示であるとか、あらゆるものを総合プロデュースしています。というのも、学芸員に着任したときから、現状の美術館や博物館の企画の外注態勢や展示方法に疑問を持っていたからです。特に「人を動かす」目的で展示をデザインするならば、従来の方法では通用しないと思っています。だから今回の震災の展示も客観的な情報を並べるだけではなく、必然的に「伝える」デザインとなりました。

 リアス・アーク美術館は、石山修武が1995年に日本建築学会賞作品賞を受賞した建築物として注目されていましたが、展示空間としてはとても不便な構造をしていました。そのうえ地震で激しく損傷し、無念にも避難所としてもまったく機能しませんでした。それまではそんな建築に悩まされてきましたが、震災をきっかけに同世代の建築家や他分野の人たちとやり取りを繰り返しているなかで、同じように社会の問題を見つめ、考えを共有している人たちがいるということを知りました。その社会問題が露呈されたのが、今回の震災だったのだと思います。

 そこで、様々な立場の人たちが接点を持って関わりあおうとするときに、私のような立場の人間が役立つのではないかと思いました。なぜならいわゆるアート、芸術系の人は少しずついろいろなことを勉強しているため、それなりに物知りで、かつアイデアや解決策をひらめいたイメージを表現したり、感覚的に物事の核心を突いたりします。このような発想の転換や媒介役というのが人間社会における本来のアーティストの役割なのではないかと思うのです。

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目黒区美術館にて

二次表現を促進する美術館

──地元の若手作家を支援したり、地域の未来のために災害の記録展を常設したりと、社会のなかで美術館は重要な役割を担っていると思います。これからの美術館があるべき姿、また期待していることを教えてください。

 美術館は表現する能力を持っている人が訪れる可能性が高い施設であり、展示を通じて二次表現への発展を期待しています。つまり美術館で見て感じたこと、学んだことから自分の表現につなげてほしいと願っています。過去の一例を挙げると、鎌倉から訪れた小学生の女の子が被災物のくまのぬいぐるみを見た後、それに共鳴して自分のぬいぐるみと重ね合わせた絵本を描きました。

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「ぬいぐるみ 2012.3.23気仙沼市内の脇2丁目」
 うちの子がね、大切にしてた〝ぬいぐるみ″があったのね。それをね、すぐ帰れると思って、うちに置いてきてしまったのね・・・
うちの子がね・・ポンタが死んじゃったって、泣くの。あの子にとっては、たぶん親友だったんだよね・・・
 あれから、うちの子、変わってしまってね。新しいの買ってやるからって、おばあちゃんが言うんだけど・・・いらないって、ポンタじゃなきゃダメなんだって言うのね。

 このようにして鑑賞体験が二次表現に移っていくのが大切なのは、記憶や記録の媒体が常に更新されていく必要があるからです。たとえ1000年残る石碑をつくったとしても、そのメディアそのものが認識困難となってしまう。レコードだけを残しても、レコードプレイヤーがなければ再生できない。結局、記録媒体だけ残しても再生装置が伴わなければ記録を失うことと同じ問題が繰り返されてしまう。この記憶や記録はあくまでひとつの媒体ですから、これを再生するためには、人が人へ伝え、その人が次の媒体に変換してくれればいいということです。

 ただそうやって変換するために能動的な思考にする「スイッチ」を入れ替える必要があると思います。例えば、道端に真っ赤な板が一枚落ちていれば、誰でもそれを板だと思いますが、まったく同じ板が美術館の壁に展示されていれば人は絵として鑑賞します。それは見る人のスイッチが入れ替わっているからであり、そのような仕掛けを展示に施すことが大切です。まさにそれこそ美術館が表現の殿堂として展示を公開する最大の理由だと思っています。

リアス・アーク美術館=写真・テキスト

気仙沼と、東日本大震災の記憶
ーリアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史ー
会期:2016年2月13日~3月21日(終了)
場所:目黒区美術館



東日本大震災の記憶と津波の災害史
場所:リアス・アーク美術館(1F常設展示)
住所:宮城県気仙沼市赤岩牧沢138-5
電話番号:0226-24-1611
開館時間:9:30〜17:00(最終入館 16:30)
休館日:月、火、祝日の翌日(土日を除く)

自然と人間の関係性を俯瞰する 國府理の遺作を再現展示

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2014年、国際芸術センター青森で個展「國府理展 相対温室」が開催され、その会期3日目に展示作品の点検中の事故により命を落とした國府理。その後、青森での個展は閉会し、遺作となってしまった作品は これまで公開されることがなかった。國府の3回忌にあたる本年、この青森での個展を再現し、作品の背景にある思想や意図を探る展覧会が東陽町のギャラリーエークワッドで開催されている。

 1970年に京都に生まれ、子供のころから車輪がついた乗り物が好きだったという國府が生み出す作品は、空想上の未来に登場する「夢の乗り物」のようである。作品素材として用いられる自動車や自転車は、実際に走行でき、稼働できる状態で展示される。国府は近年、そうした機能を持つ「メカ」に、草木や水蒸 気などの自然現象を取り込むことで、人工物と自然を対比させ、その関係性やメカニズムに注視して制作活動を行っていた。

 人と機械との関係、そして機械と自然との関係を問い直す國府の関心事は、自然と人間の「対立」ではなく、「共存」にあったのではないか。

 本展では、国際芸術センター青森で展示された作品《相対温室》をできるだけ忠実に再現するとともに、その他の作品やドローイングなども加え、國府の世界観を追体験することで作品に込められた思考の俯瞰を試みる。

國府理展 「オマージュ 相対温室」
会期:2016年3月7日~5月9日
会場:ギャラリーエークワッド
住所:東京都江東区新砂1-1-1
電話番号:03-6660-6011
開館時間:10:00~18:00(最終日は17:00まで)
休館日:土、日、祝休
URL:http://www.a-quad.jp/

ギャラリストに聞く。 ギャルリー東京ユマニテ・土倉有三

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1974年名古屋に開廊し、現在は東京を拠点とするギャルリー東京ユマニテ。同所では、現代美術を主軸に、世代を超えた多彩な作品を紹介するほか、近年では若手作家のための実験の場を併設するなどの活動を行ってきた。2000年より同画廊の代表を務める土倉有三に、自身とギャラリーの軌跡を聞いた。

「人間らしさを大切にしたい」
ギャルリー東京ユマニテ代表・土倉有三

大阪フォルム画廊での日々

 ギャルリー東京ユマニテは東京都中央区、京橋駅ほど近くに立地するビルの地下にある。その始まりは、現在同ギャラリーの代表を務める土倉有三の知人である西岡務が1974年にオープンした、名古屋のギャルリーユマニテだ。「西岡さんと私は、大阪フォルム画廊の先輩・後輩の間柄でした」。土倉は当時をそう振り返る。

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1983年、名古屋の中心地にあったギャルリーユマニテで開催された画家、浜田浄の個展の様子

 清水焼の発祥地とも言われる京都、東山に生まれた土倉は65年、高校卒業と同時に大阪フォルム画廊の大阪本社に入社する。「その土地柄、伝統工芸品や美術品が比較的身近にある環境でしたが、ギャラリーといえば"受付にスタッフがいて、壁に作品が飾られている"。そんなイメージしかなかった。でも高校時代、とあるギャラリーに勤務する知人を通して具体的な仕事内容を聞くうち、しだいに興味をもつようになりました」。

 大阪を本拠地に東京、名古屋、姫路、福岡に支店を構え、一時期は従業員が100人を超えるほどの大規模な画廊であった大阪フォルム画廊。その中には版画を制作する工房や出版部もあり、活動は多岐にわたるものだった。また土倉が入社した60年代半ばは日本において抽象表現が花開いた時代であり、大阪フォルム画廊ではアンフォルメルや具体美術協会の作家を扱っていたという。「大阪フォルム画廊の活動を通して、抽象表現の面白さを知ったような気がします」。

2つのギャルリーユマニテ

 土倉と同じく大阪フォルム画廊に所属していた西岡務は74年に独立し、名古屋にギャルリーユマニテを設立、84年には同画廊の東京支店をオープン。土倉も大阪フォルム画廊を離れ、支店長に就任した。土倉は80年代を次のように振り返る。「奈良美智さんのことはよく覚えています。ドイツ留学前に、自由なスタイルのドローイング作品をユマニテで発表していた。それが彼自身のギャラリーでの初展示でしたが、その後は皆さんご存知のように、国内外の人々に広く受け入れられていった。その経過が感慨深かったですね」。

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取材時に開催していたのは、色彩豊かな銅版画を制作する安井寿磨子の個展。ドローイングやオブジェも並ぶ

 2000年より、西岡の後任としてギャルリー東京ユマニテの代表を務める土倉。現在同所で紹介する作家は、60年代から日本を代表する銅版画家として活躍し、80年代以降は色彩豊かな油彩画などを発表する加納光於、独自のユニークな形をモチーフに支持体としてのキャンバスと絵画の関係性を追求する野田裕示など、名古屋時代より作品を取り扱ってきた作家。また他方、具象と抽象の境界を思わせる絵画を描く流麻二果(ながれ・まにか)、日用品を蝋に鋳込み、切り出すことで彫刻を制作する飯嶋桃代といった若手作家も顔を揃える。

新たな実験の場を求めて

 ギャルリー東京ユマニテでは、企画展示を行うメインスペースに加え、2004年より学生や若手アーティストのための実験的な発表の場としての「humanite lab.」、2013年からは新たなレンタルスペース「humanite bis」を立ち上げた。「現代美術作品が今よりもマイナーな存在で、発表する場が非常に限られていた60~70年代の日本において、現代美術に特化した貸画廊『ときわ画廊』や『田村画廊』の存在と影響はとても大きかったんです」。そう話す土倉は、新設した2つの企画が作家にとっての表現の実験の場となることを望む。

 また一方では、次のような発見もあったという。「実際に始めてみると、私にとっては新しい表現を知るとてもいい機会になりました」。金属廃材の動物や時事的なテーマに基づき、金属廃材や雑誌、新聞を用いた立体作品などを手がける富田菜摘は、「humanite lab.」での展示をきっかけに所属作家となったアーティストのひとりだ。またこうした展示は別室の企画展示と並行して行われるため、美術関係者が展示にあわせて来訪することも多い。「若手作家にとっては、幅広い人たちに見てもらえることがとても励みになるようです」。

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ギャラリーいち押しの作家、富田菜摘。「社会問題や現代のポップカルチャーを背景に、金属廃材や雑誌、新聞紙を用いた立体作品を制作しています。表現の幅と、彫刻家も舌をまくほどの造形力が魅力。継続的に発表される作品を通して、時代の移り変わりも見えてきます」。写真は《騎馬戦-国会乱闘》(2013)(部分)

活動の根底にある「人間らしさ」とは

 83年発行の雑誌『版画館』のインタビューで、「画商の大事な仕事は、作家とコレクターの二者をきちんとした形でつないでいくことです」と西岡は発言している。その信条が今日のユマニテでも受け継がれる一方で、約50年間ギャラリー一筋の活動を行ってきた土倉の背景には、三者の関係性の中では礎とも言える作家の作品制作に対して次のような思いがあるという。

「作家との関係性を継続していきたいんです。作家というのは20代でデビューし、若くして認められたとしても、それから数十年にわたって表現のレベルを維持し、高めていかなければならない。刻々と社会情勢が変わるなかで、とても孤独で大変なことです。だからこそ、その作品を取り扱う画廊は、責任をもって作家を支えていかければならないと考えています」。

 作家を長きにわたりサポートしていくこと。その重要性を話す土倉からは、いかなるときも「人間らしさを大切にしたい」との思いから西岡がギャラリーの名前に冠した「ユマニテ(人間性)」が示すように、"作品"より以前にある人間を尊重する姿勢が見える。

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ギャルリー東京ユマニテが入居するビルの入り口

PROFILE
とくら・ゆうぞう 1947年京都市生まれ。1965年「大阪フォルム画廊」大阪本社に入社後、翌年東京店勤務。74年には同所の副店長に就任。84年「ギャルリーユマニテ東京」の店長を経て、2000年より代表を務める。

文=野路千晶
『美術手帖』2016年4月号「ART NAVI」より)

ギャルリー東京ユマニテ
住所:東京都中央区京橋2-8-18 昭和ビルB2階 銀座線京橋駅6出口徒歩1分
電話番号:03-3562-1305
開館時間:10:30~18:30
休館日:日、祝
URL:g-tokyohumanite.jp
主な取り扱い作家:池田龍雄、加納光於、川島清、菅野由美子、富田菜摘、流麻二果、額田宣彦、野田裕示、宮崎進、向山裕、村井進吾ほか

道徳、倫理、イデオロギー あらゆる範疇を超え得る「肉」の芸術

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「時代を創造する者は誰か」をテーマに岡本太郎の精神を受け継ぎ、自由な視点と発想で現代社会に切り込む若手芸術家に贈賞される、岡本太郎現代芸術賞(通称「TARO賞」)。第19回目となる今回、紙粘土を用いて巨大な壁画作品を制作した三宅感が岡本太郎賞を受賞した。

 何者でもないものを、久しぶりに見た。仕事、生活、誕生と死、自我、子供心、母体、夢の7つのパートからなる、高さ5×幅13mの壁画。コの字に並んだこの作品《青空があるでしょう》に、見る人は呑まれるような感覚に陥る。作者は三宅感。今回の岡本太郎賞受賞作家だ。

 三宅は中学生の頃にビクトル・エリセの映画や様々な実験映像を見て衝撃を受け、美大進学後も映像の道を志したが、人間関係のトラブルで中断。その頃、約半年の間に長男の誕生、義父の死、障がい者介護の仕事を始めたことが一斉に起こり、これが今回の制作動機になったという。作品のテーマは「私の人生」。主な素材は紙粘土である。三宅は言う。

「生と死、自分の内面、手でものをつくること──すべて『肉』だと思ったんです。義父さんの遺体は動かない物質になっていたし、仕事中は障がい者の方を抱きかかえたり、トイレに移乗したり。僕には紫外線アレルギーがあって、夏場は外に出ると湿疹が出る。そうやって日ごろ生活しているだけでフィジカルな要素がすごく主張するんです。人の体に触れる、紙粘土でものをつくる。それで初めて世界とつながる意識が生まれる」。

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受賞作品の部分。左は「自我」、右は「仕事」 写真提供=川崎市岡本太郎美術館

 今回の作品は自画像だという。同時に「こういう自己表出みたいな表現は、いまの美術では成立しないこともわかっています」と三宅は付言する。現代美術というコンテクストへの葛藤。確かにこの作品は、美術より映画や音楽の言葉と感性の方が似合う、と言ったら失礼だろうか。

「今後は、『美術ならこうすべき』という義務や責務によるものではなく、自分が見たい作品をつくりたい。僕にとって芸術は、自分の思想を主張するものではなく、道徳や倫理、イデオロギーのような範疇を越えるものであってほしい」。

 何者にも回収されないことが、いかに困難で、ゆえに待望されたか。三宅感がその存在であり続けるなら、同時代に居合わせたことは無上の喜びだ。

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岡本敏子賞を受賞した、折原智江の《ミス煎餅》(2016) 醤油、米など 300×380×380cm 写真提供=川崎市岡本太郎美術館

PROFILE
みやけ・かん 1983年群馬県生まれ。2006年多摩美術大学彫刻学科卒業。映画、アニメーション、絵画、イラスト、彫刻などを制作。障がい者施設の介助員、在宅ヘルパーも勤める。主なグループ展に、05年「みはじ展」(ギャラリー・ルデコ、渋谷)など。

岡澤浩太郎=文
『美術手帖』2016年5月号「AWARD」より

第19回岡本太郎現代芸術賞展
会期:2016年2月3日〜4月10日(終了)
場所:川崎市岡本太郎美術館
岡本太郎現代芸術賞(通称「TARO賞」)は、岡本太郎の精神を継承し、自由な視点と発想で、現代社会に鋭いメッセージを突き付ける作家を継承すべく1997年に設立された。第19回となる今回は、応募485点のうち、審査員(椹木野衣、平野暁臣、北條秀衛、山下裕二、和多利浩一)による審査を経て、23組の入選と、岡本太郎賞1名(三宅感)、岡本敏子賞1名(折原智江)、特別賞1名(笹岡由梨子)を決定。

【今月の1冊】ゴダールに捧ぐ、佐々木敦の1冊丸ごと映画作家論

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『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から注目したい作品をピックアップ。毎月、図録やエッセイ、写真集など、さまざまな書籍を紹介しています。2016年5月号では、シネフィル(映画狂)にこよなく愛される映画作家、ジャン=リュック・ゴダールに迫る佐々木敦著『ゴダール原論 映画・世界・ソニマージュ』を取り上げました。

佐々木敦 著『ゴダール原論 映画・世界・ソニマージュ』
言葉により、拡張するゴダールの存在

 文学を扱った『例外小説論』『ニッポンの文学』と合わせると、今年刊行された単著はすでに3冊目。ハイペースかつジャンル横断的に批評集を世に送り出している印象の著者だが、意外にも1冊丸ごとを一人の映画作家に捧げた映画論は初めてだという。しかも分析の対象はシネフィル(映画狂)の教祖的存在、ジャン=リュック・ゴダール。この巨匠が齢83にして挑んだ3D映画『さらば、愛の言葉よ』(2014年)については、151頁を費やしてメイン論考に据えるほどの熱の入れようである。

 本書は異なる時期に書かれた3つの論考で構成される。まずは序論にて、ゴダールが設立した映画会社の名称である「ソニマージュ」(ソン〈音響〉+イマージュ〈映像〉の造語)の語源的検証から。著者は「映像+音響=映画」という身も蓋もないまでの定式を、ゴダール作品に通底する揺るぎない原理として分析の中心に置く。過去作に即して「ソニマージュ」の実践と進化ぶりを手際よく確認したあとは、いよいよ『さらば、愛の言葉よ』の長大な分析へと突入だ。

『さらば、愛の言葉よ』は69分の短い尺だが、著者は映画のなかで起こっている事象を、冒頭に飛び出る「ADIEU」の文字からエンド・クレジットまで1分1秒も見逃さない/聴き逃さない。映画の進行に沿ってショットと音響の相乗効果を逐一分析していく手法は、あたかも映画の時空間を批評のエクリチュールによって再起動させるかのごとくである。

 途中では、『アバター』『ゼロ・グラビティ』といったメジャーな3D映画との比較検証が行われ、現代の3D技術の始祖である19世紀のステレオスコープや、立体視に関心を持っていたマルセル・デュシャンへの言及もみられる。さらに「なぜ人間の瞳は2つあるのに、映画のスクリーンはひとつしかないのか」という原理的な問いや、1、2、3という数字がもつ象徴と映画との関係性が、奥深くまで追求される。迂遠な道のりだが、ゴダール作品の原理に降りていくにはすべてが必要な作業なのだ。69分の上映時間=映画の有限性は、批評の言葉によって拡張をはじめる。

 最後の論考は、なんと20年以上も前に書かれたテキストがもとになっているらしい。ゴダールの『新ドイツ零年』(1991年)に累乗される孤独や歴史というテーマ、そして著者自身の過去と現在とが、見事に折り重なっている。

 読者は本書が大胆にも「原論」を名乗るゆえんを、分析の密度の濃さだけでなく、手法の鮮やかさにおいても納得することになるだろう。

中島水緒[なかじま・みお(美術批評)]=文

ゴダール原論 映画・世界・ソニマージュ
佐々木敦=著
新潮社|2500円+税

大阪の新ギャラリーで写真家・谷井隆太が絵画展開催

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2015年12月、大阪・肥後橋にオープンした現代美術の企画ギャラリー「Ns ART PROJECT (エヌズ アート プロジェクト)」。5月7日より、人をテーマに写真作品を発表してきた谷井隆太による、初の絵画展が開催される。

 1979年に兵庫県で生まれた谷井隆太は、法政大学文学部在学中に写真を始め、群衆がいる風景などをモチーフとした写真作品を発表。近年では、2014年に東京都写真美術館で開催された「原点を、永遠に。」展に出品したほか、独学で絵画作品も制作し「トーキョーワンダーウォール2013」に入選している。

 初の絵画展となる本展では、よく知られた写真をモチーフとした作品群を展示する。イメージを線でなぞり、独特の色彩によって再構成した絵画作品において、人物は衣服をはぎ取られ、同じ肌の色で描かれる。服装から読み取れる情報を省き、すべての人物を「同列に」表現することで、「人物の実存」を考察することを目指した結果だという。また作家は、「写真をなぞる作業は写真家が意図した構図の素晴らしさを再確認するものでもあった」とも語る。

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谷井隆太 apollo 2016

 会場となるNs ART PROJECTは、大阪の「実験的ギャラリー・プロジェクト」。現代美術そのものだけでなく、美術を扱う環境や文化のあり方について問題提起を行う場として、サイギャラリーと同一のスペースで期間を分けて企画展を開催する。ディレクターを務めるのは、帝塚山学院大学教授の永草次郎。スイスのアーティスト、ヤン・ベッカーの個展に次ぐ企画となる。

谷井隆太 個展 「□に捧げるオマージュ」
会期:2016年5月7日~28日
会場:Ns ART PROJECT
住所:大阪市西区江戸堀 1-8-24 若狭ビル4階
電話番号:090-1151-9338
開館時間:火、水、木、金15:00〜19:00、土12:00〜19:00
休館日:日、月、祝日
問い合わせ:info@nsart.xyz
URL:http://nsart.xyz

【関連イベント】
オープニング・トーク&パーティ 
日時:5月7日 17〜19時
会場:Ns ART PROJECT

クリス・チョン・チャン・フイが提起する、多様なテーマを巡る旅

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2月11~20日に開催された第8回恵比寿映像祭「動いている庭」のメイン会場、ザ・ガーデンホールで、無垢材のテーブルに無造作に置かれたランのレプリカ。「固有種」(Endemic)と題されたこの作品を制作したのが、クリス・チョン・チャン・フイだ。

チョンは、1972年東マレーシア生まれ。映画や映像を中心に、ドローイングや今回のインスタレーションなど様々なかたちの作品を制作している。2007・08年のトロント国際映画祭では、最優秀カナダ短編映画賞を受賞。09年の第1回恵比寿映像祭で《ブロックB》(2008)を上映して以来、二度目の参加となる。静かに多様なテーマを主張する本作品に込めた意図、作品づくりに対する姿勢について、彼に話を聞いた。

本来とは異なる環境における生存のあり方を問う、チョンの作品

──まずは、チョンさんのアーティストとしてのキャリアについてお話しいただけますか?

 ビジネススクールを卒業したあと、実験映画に没頭しはじめたのが現在のアーティストのキャリアに繋がっています。当時はスーパー8ミリフィルムや16ミリフィルムが安く手に入り、フィルムに傷をつけたり、薬品を塗布して抽象的なイメージをつくったりして様々な手法を試していました。実験映画は誰もが気軽にできるという意味で、親しみやすさがありました。

 当時住んでいたトロントでは自家現像の映像作品を制作する集まりがあったのですが、私のように映像を学んだ経験がない人も受け入れてくれる、オープンな雰囲気でした。当時、実験映画はアートの実践としては比較的新しいものでしたし、あまり肩肘張ったエリート主義的なところがなかったのでしょう。実験映画を通して、どれだけ経験があるかということに固執しない実験的なアプローチを学んだような気がします。正規の美術教育は受けなかった代わりに、多くのことを失敗から学びました。

──今回の恵比寿映像祭に出品した作品の着想は、どこから得たのでしょうか?

 今回の制作活動は、ある特定の環境下でしか生き残れない動物相・植物相を表すために使われる「エンデミック(Endemic)」という言葉をいろいろな観点から検証し、再定義していく作業だったと思います。新しい作品を制作する際、まず私は問いを持つことから始めます。この作品においては、「エンデミック」という学術用語が人間にも該当するのではないかと考え、「もともと自分が生まれ育った土地とは異なる場所で、果たして人間は十分なポテンシャルを発揮できるのか」という問いが浮かんだのです。

 ボルネオ島(マレーシア)の北部にあるサバ州は多様な自然を残した地域で、フィールドワークや研究、観光業が盛んな場所であるとともに、原住民が住んでいる地域としても知られています。私はボルネオ島の古来種として有名なランに注目しました。もちろんランをそのまま外国に持ち込んで作品として展示するわけにはいかないので、工場に依頼してかなり精密なレプリカをつくってもらいました。工場生産であるというのもこの作品にとってはとても重要でした。

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第8回恵比寿映像祭に出展された「固有種」(2015)の様子。静かに機械音を立て、微細な動きを見せる Courtesy of the artist

──どのように最初の問いが実際の作品へと発展していったのでしょうか?

 アイデアを実際に作品にする際は、最初に投げかけた問いの文脈においてランをどう見せるか、ということを考えました。ランの研究所を見学し、研究者たちが意外にも花を荒っぽく扱っている様子を目にし、テーブルにランの花を横向きに置くというインスタレーション方法を思いつきました。

 あとになって、照明も作品の重要な要素のひとつになりました。これはたまたまだったのですが、パリで「固形種」シリーズを展示したときに、照明担当の人が考えてくれた照明によって、突然シネマ的なシーンが立ち現れたのです。それはまさにボルネオ島の小屋の窓に差し込む日光のようでした。そして、フィールドワークから帰ってきた人がぽいっとランをテーブルに置く、というシーンが浮かんだのです。もし私が映像やペインティングなどひとつのジャンルに特化していたなら、こんなことが可能だということさえ思いつかなかったかもしれません。

──《ブロックB》(2008)といった映像作品から「植物」(2013)のような人工植物のドローイング、そして今回のインスタレーションを見ると、チョンさんが実に多様なメディアを扱っているのがわかります。媒体の扱いについてはいかがですか?

 アイデアやプロセスに問いを投げかけるということが、私の作品への基本的なアプローチです。そこから生まれてくる最終的な成果物は、なんにでもなり得ます。たとえばもしそれがドレスである必要があるならば、つくってくれる人に協力してもらい、ドレスの作品を発表するでしょう。

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クリス・チョン・チャン・フイが監督した短編映像作品《Block B》(2008) Courtesy of the artist

「真正さ」をめぐる、多様でしなやかな旅

──チョンさんにとって、今回の作品におけるもっとも重要なテーマはなんでしょうか?

 最近もっとも関心を持っているトピックは、実は「真正さ(authenticity)」なのではないかと思っています。「どんな因子が真正さを決定するのか」という問いです。私が複製や反復に魅かれるのも、このためです。

──チョンさんの言う「真正さ」とはどういうことを指しているのでしょうか? 現代社会において、「真正さ」という概念はますます曖昧なものになっていますよね。たとえばオリジナルとレプリカは何が異なるのでしょうか?

《Karaoke》(2009)を制作した際もまさにその問いが頭にありました。サバ州の数少ない娯楽のカラオケでは、画面に表示されるラブソングの歌詞と流れている映像が一致していなかったり、表示されている歌詞が翻訳されたものであったり、いろいろなことが「本物」とずれているわけです。そもそも元の歌い手とカラオケで同じ曲を歌っている人の感情が、同じものなのかもわかりません。

 マレーシアのサバ州を訪れる人は「本物の自然」を求めてやってくるのですが、サバ州、そしてマレー半島のクアラルンプール側にある緑地の大半はヤシの木を栽培する農地です。パーム油農場では、動物や植物は生き残ることができません。「偽物の自然」ですよね。しかし、皮肉にもそれがマレーシアの自然をアピールするための宣伝に使われていたりするのです(笑)。

 私たちは多くの場合、自分たちを取り巻く環境や、自分たちの足元にあるもの、生活を維持しているものに対して無関心です。となると私たちはいったい何に関心があるのでしょう? 家族や生業を得ることでしょうか? それとも商品を買うこと? 欲に駆られて権力を追い求めることや、ソーシャルメディア上で知らない人に認知されることでしょうか?

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人工植物を描いたドローイング作品の「植物」(2013) Courtesy of the artist

 今回の作品で扱いたかったのは、(制作に用いられている)プラスチックやつけまつげのような人工物に私たちが囲まれているということよりも、私たちの生活、芸術、広い意味での文化、個人の記憶にすべて根拠がない、という事実です。

 自分が誰なのか、どこから来たのか、どのような道をたどっていまの自分があるのかといった基盤がなければ、新たな未来につながる道を探し出すことはできません。

 作品を制作する際には、客観的、理性的である必要があると私は思います。オリジナルなもの、その土地固有のもの、根拠のあるものがそうでないものよりも優れていると言い切ることに、私は意味を感じません。何か真正なものを創造することだけが、アートの価値を決定しているわけではありません。そこに価値を置いてしまうと作品が限定されすぎてしまい、より大きな枠での解釈の余地がなくなってしまいます。

「固有種」は、作品名の科学的用語の定義からはじまり、それが大規模資本による原住民の土地の収奪や汚職といった政治的なテーマに転じ、そこから製造、反復、再生産を体現する工場、そして作品のプレゼンテーションの部分になるとシネマチックな要素が入ってきます。しかし、これらのテーマを通して何か社会的・政治的な立場を主張したいわけではありません。むしろこうした多様なテーマに感情的に反応するのではなく、偏りをつくらずフラットに提示したいのかもしれません。

──この作品について考察することは、様々なテーマをめぐる旅のようですね。それは、あるがままの現実をそのまま等価に提示しているようでもあります。

 そうです。決められた方向性もありませんし、既存の作品のかたちに従うプレッシャーもないので、自分がしっくりくるものを当てはめていった、という感じです。私はビジュアル・アーティストとしての訓練を受けていないので、「こうあるべき」ということにとらわれずに作品をつくることができます。

──メディアに縛られない自由さがあるからこそ、チョンさんの作品にある種のしなやかさや柔軟性を感じるのかもしれません。ありがとうございました。

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インタビューに応えるクリス・チョン・チャン・フイ

PROFILE
クリス・チョン・チャン・フイ 1972年東マレーシア生まれ。《ブロックB》(2008)、《カラオケ》(2009)などの映像作品を中心に、ドローイングや写真、インスタレーションなどで幅広い作品を制作。2009年には、黄金町(横浜)での滞在制作をもとに、6面の映像インスタレーション作品《HEAVENHELL》を発表した。

取材・構成=相磯展子

第8回恵比寿映像祭「動いている庭」
会期:2016年2月11日~2月20日(終了)
会場:ザ・ガーデンホール、ザ・ガーデンルームほか
URL:http://www.yebizo.com/
8回目を迎える恵比寿映像祭。今年のテーマは、ジル・クレマンの「動いている庭」という庭の新しい解釈を手掛かりに、人間をとりまく自然とその新たな関係性に目を向け、展示や上映、イベントとシンポジウムにより構成された。


アートドバイ 中東のアート新興市場に注がれる熱視線

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ドバイと聞けば、超高層ビルが建ち並びオイルマネーで潤う砂漠のオアシスが思い浮かぶだろう。アラブ首長国連邦(UAE)のひとつ、ドバイ首国は中東屈指の世界都市として、急激な経済発展とともにその名を馳せてきた。原油の輸出や金融市場などで頭角を現してきた傍ら、アートの新興市場としてドバイが今、活気を帯びてきている。2016年3月16日から3日間にわたって開催されたアートフェア「アートドバイ」の現地レポートとともに、ドバイのアート事情を紹介する。

ドバイ、世界を結ぶアート貿易中継地

 夏には50℃を超えることもあるアラビア半島の大都市、ドバイ。ヤシの葉の木漏れ日からそんな夏の訪れを感じさせる日差しのなか、2016年3月16日〜19日にアートドバイが開催されました。今回で10回目を迎えたアートドバイへの今年の来場者は2万7000人を超え、中東地域のアートフェアとしては最大の規模を誇ります。

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アートドバイのプレビューの様子(2016) Courtesy of The Studio

 アートドバイには、北アフリカにまで及ぶ中近東地域を中心に、インドやスリランカといった近隣の国々に留まらず、世界40か国から94のギャラリーが参加し、あまり知る機会のないアフリカのガーナや南コーカサスのグルジアといった国からも出展しています。世界各国から珍しい品々が集まるスーク(市場)を歩いている気分で、「アゼルバイジャンのバクから来たギャラリーはどういった作品を扱っているのだろう」と、アートドバイの会場を巡るのも一つの楽しみ方です。国内のアート産業がまだ十分に活発でない国々から参加するギャラリーは、その国の旬のアーティストを連れて新たな市場をドバイに見出そうとしています。

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グローバルアートフォーラム10の会場前にて。世界各国よりアーティストやキュレーターを招聘し、5日間にわたってアートの国際会議が開催された

 一方、成熟したアート市場を持つヨーロッパやアジア諸国のアートギャラリーにとってアートドバイは、時間をかけて育ててきたアーティストの作品をお披露目する場所というだけでなく、好奇心旺盛な市場に新たなアートの需要、新規の顧客開拓が期待できる新興市場。投資目的でアート作品を購入することが一般的に認識されているドバイの市場では、目新しさだけではなく、これら信頼のおけるギャラリーから作品を購入することも重要視されています。またNYのMoMAやロンドンのテートモダンといった欧米の美術館からもキュレーターが視察に訪れるなど、その注目度は高いと言えます。

 アートドバイは東西を結ぶ中継地点であるドバイという地の利を活かし、かつてのキャラバンサライ(隊商宿)のように世界各国からアートが集まる新たな可能性にあふれた市場を提供することに成功しているようです。

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会場のコンテンポラリー部門で鑑賞する来場者(2016) Courtesy of The Studio

アートフェア成功の鍵はドバイの持つ「寛容性」

 数ある中東の都市のなかで、なぜドバイではアートフェアが開催され、年々参加ギャラリーが増えるほどの盛況ぶりを見せているのでしょうか。アートドバイの成功を読み解くことは、人々の想像を超えるほどの急速な発展を見せたドバイという国の成功を読み解くことでもあります。その鍵となるのがこの国が見せる「寛容性」です。

 アラブ首長国連邦(以下、UAE)の首都である アブダビ首長国や隣国サウジアラビアには石油が、カタールやバーレーンには天然ガスが地下に眠っていますが、ドバイでは輸出できるほどの天然資源は産出されません。そんななか近隣諸国の豊かな天然資源を目的に集まってくる外資資本や、その地で働く異国の人々にイスラーム世界への扉をいち早く開いたのがドバイ首長国でした。具体的には外部からの移住者に対して、イスラム教で禁止されている女性の肌の露出や飲酒に関する規制を緩和することで、湾岸諸国のなかでも外国人にとって住みやすい環境づくりを目指したのです。

 天然資源の有無や、それらをうまく活用できるかどうかによって、国民の暮らしやアラブ諸国の歴史は大きく左右されます。湾岸諸国で天然資源を持たずして「富めるアラブ」となりえたのは、どこよりも早く「他」を受け入れたその寛容性にあるといえます。

 また、この寛容性はアートの世界でも垣間見ることができます。例えば、サウジアラビアを代表する女性アーティスト、マナル・アル・ドワヤン(Manal AlDowayan)は、自国ではタブー視されているイスラーム世界女性のあり方に疑問を投げかける作品をドバイのギャラリーで発表しました。その他にも、ドバイの各ギャラリーでは、毎月のようにアーティストの目を通して語られるイスラム教の精神世界を表現したものなど、多くの作品が発表されています。

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マナル・アル・ドワヤン I AM ... A PETROLEUM ENGINEER 2005 Courtesy of Cuadro Gallery
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マナル・アル・ドワヤン THE CHOICE 2 2005 Courtesy of Cuadro Gallery

 今回のアートフェアでも宗教的/政治的にUAEと対立関係にあるイランからもギャラリーが出展したり、仏教的思想を表現した作品が台湾のギャラリーから紹介されるなど、他の中東諸国では発表が難しいアート作品が数多く紹介されていました。また、参加アーティストのうち女性は45%を占め、国籍や思想、ジェンダーの垣根を越えています。そんな、ダイナミックなアートフェアは人々の足が絶えぬほど大盛況のなか閉幕しました。人口の9割以上が外国からの移住者を占めるドバイならではの国際色豊かな来場者も、世界各国から紹介されるアート作品を目の前に 、それぞれが思い思いに楽しんでいる様子が見受けられました。 

蜃気楼か、現実か

 アートドバイが成功を収めるもうひとつの要因が、ドバイが描く明確なはっきりとした都市の未来像です。天然資源を目的に集まり、集められるヒト・モノ・カネの流動は不安定であり、都市が誇る文化的遺産や歴史を未来に残すことにはあまり期待できません。アートドバイとは蜃気楼のごとく突如として砂漠に出現したこの都市を存続させるための文化事業といえます。

 今回のフェアは、天然資源によって回されていたヒト・モノ・カネという車輪が私たち人間の持つ好奇心や探究心がハンドルを握ることによって、どこか新しい目的地へ向かっていく、そんな印象さえ感じられました。今年で10回目を数えるアートドバイはまだまだ伸びる余地のあるマーケットと言えるでしょう。ようやく地中から顔を出したといえるアートへの好奇心の芽に水を欠かさなければ、中継地にとどまらず新しいアートが生まれる場を期待できるかもしれません。

内藤明香=取材・文

アートドバイ
会期:2016年3月16日~3月19日(終了)
会場:Madinat Jumeirah
住所:Al Sufouh Road, Umm Suqeim Exit 39 (Interchange 4) from Sheikh Zayed Road Dubai, UAE
URL:www.artdubai.ae

見え「な」い音の展覧会。椹木野衣が見た奥村雄樹の個展「な」

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アーティストとして国際的な活動に数多く参加し、翻訳家としての顔も持つ、奥村雄樹。河原温との出会いに着想を得て制作された新作のサウンドインスタレーションを、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで開催した個展「な」で発表した。オーディオドラマのみで構成された本展を、椹木野衣がレビューする。

椹木野衣 月評第93回
出会い損「な」いの世界
奥村雄樹「な」展

 建物に足を踏み入れ、表示に従って向かってすぐを右に曲がり、入り口の壁を越えて会場に入ったが、作品がなにもない。もとからあるままの部屋があるだけだ。バス通りに面した大きな窓は塞がれず、ふだんから交通量がひときわ多いことに加え、最寄りの二条城へのツアー旅行のために停められた大型の観光バスが何台も素通しで見えている。外との近さは、その手前の歩道を歩く、性別も年代も国籍もバラバラな人たちと、たまに目線がじかに合うくらいだ。向こうからすれば、見たところなにもなさそうな部屋で、いったい僕がなにをしているのか気になるのだろう。不思議そうにこちらを気にして、中への入り口を探そうと、来た道を戻る人さえいた。

 「ガチャガチャ」─ふとそんな音がして、部屋の真ん中に申しわけ程度に置かれたソファに座って、真正面に位置する裏手へと通じる開かずの扉を眺めていた僕の目と耳に、その重そうなドアノブが何度も捻られる音と動きが飛び込んできた。きっと、さっき入り口を探して歩道を戻った人が、僕がいる部屋へと通じそうな裏手の扉を見つけて、中に入ろうとしたのだろう。それはすぐにわかった。だから、別に驚くようなことではなかった。けれども、そのドアノブを捻る音と動きが、会場で流されている音声によるドラマの場面とたまたま合致していたため、もしかしたらタイミングに合わせて動くように最初から仕組まれていたのではないかと疑ってしまったのだ。

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京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAにて Photo by Takeru KORODA Courtesy of Misako & Rosen

 冒頭に「作品がなにもない」と書いたが、それは正確ではない。絵画や彫刻のような実体として視線を注ぐ対象がないだけで、実際には会場にしつらえた小型のスピーカーから、音声は切れ目なく流されている。この物語には原作があり(宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』)、それが複数の声による出演者らによって再現されているのだが、宮内による旅の体験に基づくこの小説自体が、美術家=河原温と宮内との出会いをもとに書かれたもので、それをやはり生前に河原との「出会い」があった奥村が、いま一度オーディオ・ドラマとすることで、みずからの個展会場の内部を使い、時間と空間を移しながら翻案しているのである。

 むしろ僕が驚いたのは、物語の中で、彼らの「出会い」はやはりドアを介して行われていて、描写のうえでドアをノックしたり開けたり閉めたりしそうなタイミングと、さっきの「ガチャガチャ」が、(完全にぴったりではなく)微妙に合っているように感じたからなのだ。しかし、同じような「ガチャガチャ」がその後、物語となんのつながりもない場面で繰り返されたところをみると、奥村がそこまで計算してドアが目に入る位置にソファを置いたのかどうかまでは、わからなかった。

bt_bt05sawaragi3.jpg 作品はサウンドのみ。展示空間にはソファが1つ設置されている。美術家の河原温が「河名温」として登場する宮内勝典の小説『グリニッジの光りを離れて』をもととした、オーディオドラマを5.1サウンドで展開
Photo by Takeru KORODA Courtesy of Misako & Rosen

 いずれにせよ、なにも見るものがない会場で、作品を見る代わりに、僕はドアを隔てて見知らぬ人と出会い損ね、同時刻にちょうどそこにたどり着いていた知人には偶然出会った。同じ批評家のHさんだった。Hさんとは数日後、横浜美術館でもばったり出会った。日常の諸事を離れ、河原温に思いを馳せながらこの広い宇宙のことを思えば、天文学的に稀なことである。しかし同時にこのような出会いは、いつも(完全にぴったりではなく)微妙に出会い損ねている。

PROFILE
さわらぎ・のい 美術批評家。1962年生まれ。近著に『後美術論』(美術出版社)、会田誠との共著『戦争画とニッポン』(講談社)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)など。8月に刊行された『日本美術全集19 拡張する戦後美術』(小学館)では責任編集を務めた。『後美術論』で第25回吉田秀和賞を受賞。

『美術手帖』2016年5月号「REWIEWS 01」より)

奥村雄樹 個展「な」
会期:2016年2月20日~3月21日(終了)
会場:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA
URL:http://gallery.kcua.ac.jp
奥村雄樹は1978年青森県生まれ。2012年東京藝術大学大学院博士後期課程修了。国際的なレジデンス・プログラムに多く参加し、アーティストおよび翻訳家としてベルギーとオランダを拠点に活動。主な個展に10年「くうそうかいぼうがく・落語編」(MISAKO & ROSEN、東京)、15年「ローマン・オンダックをはかる」(MISAKO & ROSEN、東京)、グループ展に13年「アウト・オブ・ダウト六本木クロッシング 2013」(森美術館、東京)など。本展は、河原温との会遇に着想を得たサウンドインスタレーションの新作を発表。

時代を写すファッションを切りとる 蜷川実花が写真展を開催

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5月8日まで台北當代藝術館で個展を開催中で、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会 組織委員会の理事でもあり、ますます活動の幅を広げている蜷川実花。現在、表参道でも、蜷川にとっては初の試みとなる、ファッションに特化した写真展展覧会を開催している。

 来る未来を読み解き、スピード感をもって進化し続けているファッション。この時代の先端を写す鏡であるかのようなファッションを、蜷川ならではの感性ではどう捉えているか? 本展では約85点の作品を通じ、蜷川スタイルのファッション・フォトのあり方に迫る。

 松岡モナ、齋藤工、桐谷美玲らをモデルに起用した鮮やかな作品群のほかにも、会場では同名の写真集『FASHION EXCLUSIVE』やオリジナルグッズなども販売される。

 会場は多彩なイベントが開催されている表参道ヒルズ。ゴールデンウィーク中にぜひ足を運んでみてほしい。

蜷川実花写真展 FASHION EXCLUSIVE
会期:2016年4月23日〜5月8日
会場:表参道ヒルズ 本館B3F スペース オー
住所:東京都渋谷区神宮前4丁目12-10
電話番号:03-3497-0310 (総合インフォメーション)
開館時間:11:00~21:00 ※5月1日は20:00、最終日は18:00まで
休館日:無休
入場料:無料
URL:http://www.omotesandohills.com

散逸した白磁を求めて 韓国の写真家、クー・ボンチャンの展覧会

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世界的評価を得ている韓国の写真家、クー・ボンチャンが渋谷ヒカリエで展覧会を開催。柳宗悦が収集した、韓国文化を代表する白磁のコレクションを写したシリーズが展示される。

 日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見いだす民藝運動。その中心人物である柳宗悦らを虜にしてきたのが、朝鮮文化を代表する白磁だ。かつては王朝貴族が用い、近代では庶民にも親しまれてきたこの白磁は、熱心なコレクターの手により収集され、現在では韓国国外の美術館の収蔵品となっている。

 こうした現状を知ったクー・ボンチャンは、母国の遺品を追い求め、白磁をコレクションする美術館などに自ら出向き、丹念にカメラに収めてきた。

 今回、展示されるのは、クー・ボンチャンが日本民藝館の協力を得て2006年に撮影した、柳宗悦の白磁コレクションの写真シリーズ「White Vessels」だ。アマナサルトが2015年に作家とともに新たに制作したプラチナプリント作品13点が並ぶ。

クー・ボンチャン 写真展「白磁」
会期:2016年4月27日〜5月16日
会場:8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery
住所:東京都渋谷区渋谷2-21-1
開館時間:11:00〜20:00
電話番号:03-6434-1493
休館日:無休
入場料:無料
URL:http://www.hikarie8.com/artgallery

アートを哲学や日常の視点で『美術手帖』5月号新着ブックリスト

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『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から、エッセイや写真集、図録など、注目したい作品を紹介しています。2016年5月号では、イタリアの政治哲学者による論考や家族を被写体にした写真集など、アートを哲学的な手法や日常の視点でとらえた4冊を取り上げました。

ジョルジョ・アガンベン 著『身体の使用 ― 脱構成的可能態の理論のために』

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 イタリアの政治哲学者が約20年にわたって展開してきた「ホモ・サケル」プロジェクトの最終巻。アリストテレスが提出したテーゼ「奴隷の働きは身体を使用することである」を出発点に、近代人にとっての労働的活動とは異なる「使用」の概念を考察。スピノザ、ハイデガー、フーコーなどを経由して、新たな政治観にアクセスするための「生の形式」を探る。芸術活動に携わる主体のとらえ直しにも有益な手掛かりを与えてくれそうだ。

『身体の使用 ― 脱構成的可能態の理論のために』
ジョルジョ・アガンベン=著
みすず書房|5800円+税

松木武彦 著『美の考古学 ―古代人は何に魅せられてきたか』

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 機能から逸脱した文様をもつ土器、対称性と幾何学に基づいて「よい形」を追求した銅鐸、圧倒的スケール感で見る人を惹きつける古墳。古代の造形物には、用途だけでは説明しきれない工夫が随所にほどこされている。このような造作を「美」という観点から説明し、当時の人々にもたらした心理的効果や社会・経済への影響を徹底推理。認知科学なども駆使した現代的アプローチで、古代の造形が身近に感じられるのが楽しい。

畠山直哉、大竹昭子 著『出来事と写真』

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 写真家の畠山直哉と文筆家の大竹昭子が2011〜15年に行った計6回の対談を採録。11年の畠山の個展「ナチュラル・ストーリーズ」を皮切りとしているため、必然的に震災と写真をめぐる話題が中心となっている。個人の記憶に根付くがゆえに「絶対化」された被災地の写真をどのように扱うべきか、人間の原理を超えて現象する自然の非人間性といかに向き合うのか。倫理的な問いを忌憚なく引き出し合えるのは、信頼関係の深い2人だからこそ。

『出来事と写真』
畠山直哉+大竹昭子=著
赤々舎|2000円+税

金川晋吾 著『father』

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 家族に内緒で仕事を辞め、借金と蒸発を繰り返してきた父。自暴自棄な生き方の理由を尋ねても、返ってくるのは問題の本質から逸れたような生返事ばかり。もっとも身近な他者となった父を、息子である写真家が2年間に渡るポートレート撮影と日記で記録した写真集。第三者の目から見ても居たたまれない感情を呼び起こす写真ばかりだが、安易な落としどころを求めず辛抱強く対象と向き合う写真家の姿がここにはある。

『father』
金川晋吾=著
青幻舎|2700円+税

中島水緒[なかじま・みお(美術批評)]=文
『美術手帖』2016年5月号「BOOK」より)

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