2016年2月、江東区を東西に流れる小名木川のほど近くにSatoko Oe Contemporaryは開廊した。ギャラリーが主に紹介するのは、1970〜80年代生まれの作家による現代美術。ギャラリーの代表を務め、彼らとは同世代である大柄聡子に同所の設立に込めた思い、今後の展望を聞いた。
生活と美術をつなぐ場所
Satoko Oe Contemporary ディレクター・大柄聡子

美術に触れたロンドンの日々
都内有数のアートスポット、清澄白河の中核を担ったギャラリーコンプレックスが、ビルの老朽化に伴い解体に至ったのは2015年秋のことだ。大柄聡子は同コンプレックスのギャラリーのひとつ、シュウゴアーツに2005年から10年間にわたって在籍し、ギャラリー移転のタイミングでの独立を決心した。「ギャラリーの転機が、自分の人生を振り返るきっかけになりました」。大柄は建築・空間デザインを学ぶため18歳でロンドンに移住。当時、ダミアン・ハーストを筆頭としたヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)の台頭により活気のあった同地で、様々な美術作品に触れる機会があった。「建築物の設計に加え、展覧会を訪れる授業、アーティストと共同で展覧会を構成するプログラムもありました。でもまさか自分がギャラリーを立ち上げるなんて、その頃は想像もしていなかったです」。
2つの「天職」を経て
7年半の海外生活を経て、実家のある愛知県豊田市へと戻った大柄は就職活動に取りかかるも、難航。そんななかで、ある日母が「気晴らしに」と連れ出してくれたのが豊田市美術館だった。「実家は同市に転居したばかりで、私はこの美術館の存在を知らなかったんです」。谷口吉生が建築を手がけた館内には、留学時に目にした作品がいくつも展示されていた。「館全体が、とても生き生きして見えた。ここが自分の居場所だと直感的に感じたので"どうしたらここで働けますか?"と監視員の方に声をかけ、当日中に履歴書を書きました(笑)」。ほどなくして大柄は晴れて監視員となり、その後は学芸員アシスタントとしての業務がスタートした。
「監視員、アシスタント、どちらも本当に楽しく天職だと思った。でも美術館で数年間働き、今後のことを考えなければならない時期にさしかかったとき、ひとつの選択肢として"ギャラリー"が浮上しました」。そしてイケムラレイコ、カールステン・ヘラー、丸山直文など、自身が感銘を受けた作品を手がけた作家の多くに「シュウゴアーツ所属」という共通点があることに気づいた大柄は、当時、奇遇にもスタッフを募集していた同ギャラリーに応募。スムーズに採用が決定した。「ギャラリーでは毎日のように新しい体験と出会い、戸惑うことも多かったです。代表の佐谷周吾さんや同僚の懐の深さに助けられた10年間でした」。
日本でギャラリーを運営すること
Satoko Oe Contemporaryに所属する作家は、池崎拓也、池田光弘、岩永忠すけ、金氏徹平、鹿野震一郎、升谷真木子、森千裕、ケサン・ラムダークの現在8名。「90年代に活動をスタートさせたギャラリストの先輩たちは、日本に数々のコレクターを生みだした。次は私たちの世代が連携し、同世代のコレクターを育てていきたいです」。そう話す大柄が目指すのは、作家と、彼らを支えるコレクターのバックアップだ。
「日本では美術に対するハードルが高く、若年層は"買わない世代"と言われているけど、社会には美術が必要。"こんな作家たちが今の日本に生きている"ということをギャラリーの活動を通じて伝えていきたいです」。
もっと聞きたい!
Q.注目のアーティストは?

森千裕です。幼少期のお絵描き帳の中に見つけたモチーフから着想を得た絵画作品や、ブラウン管テレビに映るSFアニメのワンシーンを撮影した写真のほか、立体、インスタレーションなど手法や作風が多彩。いつも着眼点がおもしろいんです。今秋にはギャラリーでの個展を予定しています。
Q.思い出の一品は?

ボードゲーム「カタンの開拓者たち」です。以前、河原温さんのご自宅を上司と訪れた際、3人で対戦。その後「練習しなさい」と譲り受けました。河原さんはゲームを通して、仕事相手である私たちの性格を見透していたのではないか。今は懐かしく、そんなふうに思います。
PROFILE
おおえ・さとこ 愛知県生まれ。チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン(現チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ)卒業。豊田市美術館、シュウゴアーツ勤務を経て2016年、Satoko Oe Contemporaryを設立。
文=野路千晶
(『美術手帖』2016年8月号「ART NAVI」より)
