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明治洋画の巨匠、黒田清輝の光溢れる世界を展覧会と作品集で堪能

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3月23日より、日本近代絵画の巨匠・黒田清輝(1866〜1924)の大規模な展覧会が上野の東京国立博物館で始まった。生誕150年を記念した同展に合わせ、カラー図版満載の公式図録『生誕150年 黒田清輝──日本近代絵画の巨匠』も刊行。展覧会の様子と図録の見どころを紹介する。

生誕150年を迎える黒田清輝の回顧展、内覧会レポート

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黒田清輝 湖畔 1897 キャンバスに油彩 69×84.7cm 重要文化財 東京国立博物館蔵

 黒田清輝の代表作《湖畔》。全体が青系統の色でまとめられ、さわやかで透明感のある色彩が上品な印象を与える。美術の教科書で見たことがある人も多いだろう。箱根湖畔の風景の中に、着物姿の日本人女性が描かれた油絵だ。

 西洋の画材・技法で描かれた日本の人物と風景。西欧の文物を取り入れ、ただそれらを真似るだけでなく、思想的な部分も含め咀嚼し、どのように日本の文化として吸収するか。この作品には、欧米列強と肩を並べる文明国を目指す近代日本の模索の姿が象徴的に表れている。日本の洋画表現を確立した人物、それが黒田清輝だ。

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黒田清輝 婦人像(厨房) 1892 キャンバスに油彩 179.6×114cm 東京藝術大学蔵 

 3月22日、特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」の内覧会が開催された。展示会場に足を踏み入れた瞬間に目に入るのは、黒田のもっとも有名な作品のひとつ《婦人像(厨房)》だ。厨房の窓から射込むやわらかな光が明るい色彩で描かれている。会場には、こうした代表作はもちろん、模写、手記などが並び、さらに黒田のアトリエや東京駅帝室用玄関壁画(戦災で焼失)を再現したコーナーもある。

 会場は、第1章「フランスで画家になる─画家修学の時代 1884〜1893」、第2章「日本洋画の模索─白馬会の時代 1893〜1907」、そして第3章「日本洋画のアカデミズム形成─文展・帝展の時代 1907〜1924」で構成され、日本の洋画界に新たな息吹をもたらした黒田の画業を年代順にたどる構成だ。

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特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」展会場風景 撮影=関根萌実

 レンブラントやミレーの作品模写などが展示される第1章では、黒田が熱心に西洋絵画を学んでいたことが伝わってくる。法律を学ぶためにフランスに渡ったものの、画学を志すようになった黒田は、現地での絵画作品の模写に加え、石膏や裸体モデルのデッサンも積極的に行っていた。当時の日記も展示されており、それらとともに作品を見ることで、黒田の美意識の一端に触れられる。

 この章では、黒田が影響を受けた西洋の画家たちの作品も紹介されている。黒田の師であるラファエル・コランの代表作《フロレアル(花月)》や、ジャン=フランソワ・ミレーの代表作《羊飼いの少女》は、フランスのオルセー美術館の所蔵品だ。若き日の黒田が見たヨーロッパを知る上で、これほど説得力をもつ出品はないだろう。

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特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」展会場風景 撮影=関根萌実

 第2章では、先に紹介した《湖畔》や《舞妓》など、黒田の代表作の数々を見ることができる。美術団体「白馬会」を結成し、当時センセーショナルな画題であった裸婦像を発表するなど、旧来の価値観や制度の壁にぶつかりながら、黒田が日本洋画の確立を目指し、奮闘したことがわかる。

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黒田清輝 舞妓 1893 キャンバスに油彩 80.4×65.3cm 重要文化財 東京国立博物館蔵

 この章では他に、戦災で焼失した黒田の大作《昔語り》の下絵なども展示。東京文化財研究所(黒田の遺言によって設立された帝国美術院附属美術研究所が前身)の長年にわたる調査研究によって明らかになった、作品制作の実態とその経緯についても紹介する。遺されたスケッチや模写、黒田の日記、そして最新の科学的調査から、名作が完成するまでの過程、作家の試行錯誤や苦悩が丁寧に読み解かれる。さらに、従軍画家としての側面や、肖像画家としての側面にもスポットが当てられている。

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特別展「生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠」第3章での黒田清輝の再現アトリエ 撮影=関根萌実

 最終章で再現された黒田のアトリエには、遺品であるイーゼルと椅子、絵具箱が設置され、イーゼルの上には作品《林》が置かれている。《林》は、黒田が狭心症を発祥する前に着手したまま未完に終わったと推測される油彩画だ。イーゼルの前に立つと、つい先ほどまで黒田がそこで制作をしていたかのように感じられた。同じく今回パネルと映像で再現されている東京駅帝室用玄関壁画(戦災により焼失)も、鑑賞者を囲むような駅舎の構造をそのままに体感できる。

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黒田清輝 智・感・情 1899年 キャンバスに油彩 各180.6×99.8cm 重要文化財 東京国立博物館蔵 

 そして日本近代絵画の巨匠、黒田清輝の大回顧展の最後は、金地の背景に3人の裸婦が意味ありげなポーズで立つ謎多き名作《智・感・情》で締めくくられる。日本人の理想的な身体表現の近代以降のプロトタイプを提示した同作。黒田の生涯を通じた挑戦の数々を見てきた鑑賞者に、彼の成し得た偉業を雄弁に物語る。ぜひ会場で、作品から伝わる黒田の美術の熱い思いと時代の空気に触れてほしい。

ファン必携! 黒田清輝の作品集刊行。TSUTAYAでフェアも

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展覧会公式図録『特別展 生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠』。本体価格2315(税別)円。

 この展覧会の公式図録として、『特別展 生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠』(美術出版社)が刊行された。A4サイズの本には、展覧会の全出品作に加え、関連図版がフルカラーで掲載されている。

 見開きページを贅沢に使った作品掲載も多数。《智・感・情》は、折り込まれたページを広げて、女性一人につき1ページ分の大きさでじっくり鑑賞できる。一般の書籍として刊行されているため、通常の書店での購入、取り寄せも可能だ。

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『特別展 生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠』のページレイアウト。見開きで大きく図版を掲載するページも多数

 この図録の刊行を記念して、代官山 蔦屋書店(東京・渋谷)、梅田 蔦屋書店(大阪)、TSUTAYA TOKYO ROPPONGI(東京・六本木)の3店舗ではブックフェアを実施中。蔦谷書店限定のオリジナルトートバッグ付きで、図録の特別販売を行っている。

 トートバッグは、トートバッグ専門ブランド「ルートート」が製作したもので、黒田のスケッチや書名のロゴがセピアのインクでさりげなくプリントされており、普段使いできるデザインになっている。今回の作品集がすっぽり入るサイズは実用性も高く、外側にスマートフォンや財布が入るポケットも。書店で購入後、そのまま作品集を入れて持ち帰ることができる。トートバッグが手に入るのは、3つのフェア会場のみ!

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代官山 蔦屋書店の店頭フェアの様子。公式図録とトートバックのセットは4176(税別)円。

 幕末に薩摩藩士の子として生まれた一人の男が、絵筆をもって切り拓きたかった日本の近代とはなんであったか。画家の作品と人間像に、展覧会、そして作品集を通じて触れてほしい。

展覧会:特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」
会期:2016年3月23日~5月15日
場所:東京国立博物館 平成館
住所:東京都台東区上野公園13-9
電話番号:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9:30~17:00(金曜日は20:00まで、土日祝日、5月2日は18:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜(ただし、3月28日、4月4日、5月2日は開館)
入場料:一般 1600円 / 大学生 1200円 / 高校生 900円
URL:http://www.seiki150.jp/


展覧会公式図録:『特別展 生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠』
編集:東京国立博物館、東京文化財研究所 ほか
執筆:松嶋雅人、山梨絵美子、三浦篤 ほか
発行元:美術出版社
判型:A4変形判
ページ数:318ページ
価格:2315円(税別)
ISBN:9784568104875


ブックフェア開催店舗
ブックフェアの会期、内容については各店舗へご確認ください
◼︎代官山 蔦屋書店
 住所:東京都渋谷区猿楽町17-5
 電話番号:03-3770-2525
◼︎梅田 蔦屋書店
 住所:大阪府大阪市北区梅田3-1-3 ルクアイーレ9F
 電話番号:06-4799-1800
◼︎TSUTAYA TOKYO ROPPONGI
 住所:東京都 港区六本木6-11-1 六本木ヒルズ六本木けやき坂通り
 電話番号:03-5775-1515

6会場31名のアーティストが「囚われ、脱獄、囚われ、脱獄」

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現在、都内6つの会場で、5名のアーティストがキュレーションした企画展「囚われ、脱獄、囚われ、脱獄」が開催中だ。出品作家は、新進気鋭の若手作家から戦後の日本美術を牽引した物故作家まで総勢31名。言語、国境、しがらみ、視野、物質など、私たちの生きる社会に存在するさまざまな「枠」をテーマに、それぞれのアーティストが既存の枠組みを再構築していく。

 本展は2013年10月にアーティストの自主運営スペースXYZ collective(東京・世田谷)で開催された「囚われ、脱獄」というグループ展の第2弾にあたる。前回はアーティストの五月女哲平と竹崎和征がキュレーションを担当し、会場には両名を含む国内外7名、1970〜80年生まれの同世代の作家の作品が展示された。

 3月19日よりスタートした「囚われ、脱獄、囚われ、脱獄」のキュレーションは、前回の2名に、荒木悠、磯谷博史、山根一晃の3名のアーティストが加わり、出品作家は31名にのぼる。今回は年齢層も幅広く、在外アーティストの出品も多い。駒込倉庫、KAYOKOYUKI(ともに東京・駒込)、CAPSULE、SUNDAY(ともに東京・世田谷)、青山|目黒(東京・目黒)、statements(東京・渋谷)の計6会場に、各会場5〜9名の作品が展示されている。駒込倉庫は今春新たにできたアートスペース。本展がオープン最初の企画となる。

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「囚われ、脱獄、囚われ、脱獄」6会場のひとつ、CAPSULEでの展示「目を盗む」

 参加作家は以下のとおり。青木陵子、青山根子、青崎伸孝、荒木悠、万代洋輔、オリバー・ビア、シャルベル=ジョセフ・H.ブトロス、コブラ、題府基之、 ハルーン・ファロッキ、アキラ・ザ・ハスラー、磯谷博史、小関清人、マーガレット・リー、 ユーアン・マクドナルド、松原壮志朗、ミヤギフトシ、室井康希、西村有、ウィル・ローガン、 齋木克裕、五月女哲平、砂入博史、高松次郎、高山陽介、竹川宣彰、竹崎和征、豊嶋康子 カール・トゥイッカネン、矢口克信、山根一晃。

 本展は会場ごとに小テーマが設けられており個別に鑑賞することも可能だが、ぜひ5人のアーティストがキュレーションした6つの空間を巡り歩き、「枠」を取り払ったアーティスト、飛び越えたアーティスト、意味そのものを変容させてしまったアーティスト、それぞれの「枠」の再構築方法に注目していただきたい。

囚われ、脱獄、囚われ、脱獄
会期:2016年3月19日~4月30日
会場:駒込倉庫、KAYOKOYUKI、CAPSULE、SUNDAY、青山|目黒、statements
開廊時間:各会場によって異なる
休廊日:各会場によって異なる
URL:http://toradatsu.teamblog.jp/

櫛野展正連載:アウトサイドの隣人たち ④セルフビルド城塞

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ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会をキュレーターとして扱ってきた櫛野展正。自身でもギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。櫛野による連載企画「アウトサイドの隣人たち」第4回は、自宅に手づくりの城を築いた、古志野利治(こしの・としはる)さんを紹介する。

「私は警察を知っとるよ、あんたの住所と電話番号を書きなさい」
全国各地を訪ね歩き取材していると、不審者と誤解されるのか決まり文句のように取材先に言われる言葉だ。その日、僕から差し出された名刺を受け取ったのは、91歳の古志野孝子さん。今回の取材対象でもある「城」を守り、ひとりで静かに暮らしている人物だ。

 ここは、「どじょうすくい」の踊りや民謡・安来節(やすぎぶし)発祥の地で有名な島根県安来市。背後には十神山、眼前には中海を望む静かな住宅街に、手づくりの城や五重塔がそびえている。まるで映画撮影所の時代劇セットのようにも見えてしまう。作者は孝子さんの夫、古志野利治さん。1917年(大正6年)に生まれ、2009年に92歳で他界している。

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「城」の周囲は自然に囲まれた住宅街

 城は、4層5室で高さ約9メートル。敷地内の立派な庭には、五重塔やいまは使われていない自作の茶室、水車がある。孝子さんの案内で玄関奥の階段を上ると、城内につながる。各階には、利治さん制作の鉄道を描いた鉛筆画の大作や木彫りの作品、そして壁に掛けられた書など、亡き主人の思い出が詰まっている。ビュウビュウと吹きすさぶ突風が窓を揺らすなか、孝子さんは静かにご主人の半生を語ってくれた。

 1958(昭和33)年、国鉄(現JR西日本)安来駅に勤めていた利治さんは、市議会議員に初当選。国鉄を退職ののち、以前住んでいた家を取り壊したときの廃材を使って手づくりの塀を、そして77(昭和52)年には庭先に高さ4.6メートルの大きな木製灯篭を、制作した。そんな利治さんが次に手がけたのは、「亡くなった戦友や先祖の供養のため」だという、五重塔だった。

 孝子さんの話によると、「それまで建造物を手がけたことがなく、しかも様式が込み入っているため、建築を始めた当初は頭を抱えていた」という。まず京都や奈良に数度出かけて検分。清水寺の五重塔へは十数回も足を運んだそうだ。法隆寺や薬師寺の写真集、美術の百科事典や建築専門書などを片っ端から読んで研究を重ね、五重塔の置物から寸法を割り出し、虫眼鏡を使いながら図面を引き、1か月かけて設計図を描いた。庭に穴を掘って基礎の石組みやコンクリート打ちからはじめ、水準器を使ってバランスを取りながら一層ずつ積み重ねていった。制作に用いた材料はセメント6トン(150袋)、鉄材1.5トン、銅50キログラムにものぼり、取り壊した家の木材はトラック1台分だとか。当初は建築に反対していた孝子さんも、夫の熱意に負け子どもと一緒に手伝うようになったという。「わたしや息子も手伝いましたけど、90%は主人がつくっていました」と語る。そのため人件費はゼロで、総工費はわずか260万円ほど。

 夏は朝5時半、冬でも7時ごろから仕事に取りかかり、雨雪の日には升組に使う材料づくりに精を出した。最上部の相輪(そうりん)と呼ばれる装飾物は宝珠・水煙・九輪・受花などで構成されているが、よく見ると宝珠はやかん、受花は家庭用のステンレスボール......と、すべて廃材が使われている。屋根の瓦は、セメントを型に流し込んで2500枚を自作したものだ。聞けば、照明設備まで完備されており、当時は安来の夜空にくっきりと輝いていたようだ。建設時の写真を何枚か見せていただいたが、強固なやぐらを組んではいるものの、中海から吹きつけたであろう強風のなか、命綱もつけずに塔の最上部で作業している光景には、身震いがしてしまうほどだ。

 79(昭和54)年春、利治さんは、大工や左官の経験さえなかったにもかかわらず職人の手を一切借りずに、1年2か月の短さで、高さ14メートルもの五重塔を建立してしまった。完成当時はたくさんの見物客が押しかけ、なかには寺と勘違いして参拝に来る人もいたそうだ。

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築城の様子。命綱もつけず、利治さん自ら塔の最上部に登って作業した

 出雲地方の歴史書の編纂にも携わっていた利治さんは、自宅近くの十神山(安来市の神話伝説の地)に、戦国時代に「十神城」という砦が建てられていたことを知り、70歳のときからこの「城」の築城を開始した。各地のお城を見て回り本を読むなどして検討を重ね、最終的には福井市にあるお城をモデルにした。外装は専門の大工らに依頼したので、完成までは約1年3か月と早かった。できるだけ城に似せるため、石落とし・狭間(さま)・火灯窓・鯱(しゃちほこ)などは手づくりでこだわったという。重さ60キログラム、長さ1.2メートルのコンクリート製の鯱は、いま見ても本当に立派だ。なかでも苦労した銅版葺の屋根は、城の大きな特徴となっている。丸みをもたせた銅板が、どこか重厚な雰囲気を醸し出している。そして城壁には、地下にある陶芸窯で作成に失敗した陶器が、反対向きに取り付けられている。

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城壁に取り付けられた陶器(左)と手づくりのしゃちほこ(右

 ついには「一国一城の主」になってしまった利治さん。当時の写真を眺めていると、地域の祭りで相撲取りの格好をするなど、皆から慕われていたことがよくわかる。そんな彼の築造を、周囲の人たちは奇異な目で見るのではなく応援し、完成した際は皆で祝杯をあげたそうだ。孝子さんによると、「城の次は十勝山に大きな観音様を建立する計画もあった」という。病に倒れ断念してしまったが、高齢になってからさまざまな築造を繰り返してきたその原動力には、「若い人に"やればできる"という精神と人間の執念を示したい」という思いがあった。市議会議員として地域のために貢献し続けてきた利治さんだからこその考えがそこにはあったのだろう。いまは、孝子さんが一日でも長く「城」を守り続けてくれることを願うしかない。

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正面から見た「城塞」と、夫が残した城を守る孝子さん

(文=櫛野展正)

PROFILE
くしの・のぶまさ アール・ブリュット美術館、鞆の津ミュージアムキュレーター、ギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」主宰。2015年12月13日まで開催された鞆の津ミュージアム最後の企画展「障害(仮)」では、「障害者」と健常者の境界について問題提起した。クシノテラスWEBサイト:http://kushiterra.com/

死刑囚による絵画展が開催

「クシノテラス」では、4月29日より確定死刑囚による絵画を中心に紹介する「極限芸術2 死刑囚は描く」展を開催。期間中には、都築響一によるトークイベントも予定されている。詳細は下のバナーより。

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クシノテラスを応援しよう!

「クシノテラス」では現在、ギャラリーの修築や展覧会経費のためのクラウドファンディングを実施中。1000円から支援が可能で、リターンとしてアウトサイダー・アーティストたちの作品が進呈される。下の画像から、特設ページにアクセスが可能。

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天才画家ボッティチェリを育てた破戒僧、フィリッポ・リッピ

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ルネサンスを代表するイタリアの巨匠、ボッティチェリ。彼を育てた師匠は、修道僧でありながらも浮き名を流す画家、フィリッポ・リッピでした。 今回は、この天才画家を生んだフィリッポ・リッピについて、掟破りなエピソードとともにご紹介しましょう。

 流れるような線描と明るい色彩で構成される華やかな画面。そのなかで、やや首を傾け、美しさのなかにもひと匙の憂いを漂わせる女性像。「線の詩人」と謳われる画家サンドロ・ボッティチェリ(1445頃~1510)の名を聞けば、誰もがこのようなイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。

 彼の画業は、1460年頃、画家フィリッポ・リッピ(1406頃~69)の工房に入ったことからスタートします。1467年にリッピがイタリア、スポレートに移った後は、ヴェロッキオの工房に共同制作者として参加し、1470年には親方として独立します。

 この最初の師フィリッポ・リッピは陽気な性格で、弟子に対しても愛情をもって技法を伝授したと「芸術家列伝」を著した画家ヴァザーリは伝えています。しかし一方で、やんちゃで武勇伝に事欠かない人物でもあり50歳の頃には修道女と駆け落ち事件を起こしています。

フィリッポ・リッピとはどんな人?

 正式名称は、フラ・フィリッポ・リッピ。フラとは、修道士の略語であり、ウフィツィ美術館所蔵の祭壇画《聖母戴冠》に描き込んだ自画像でも、修道服をまとい、頭頂を剃った「トンスラ」という独特の髪型をしています。

 リッピは1406年頃にフィレンツェで肉屋の息子として生まれました。2歳で孤児になり、8歳の時に経済的事情からサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の修道院に預けられ、そこで絵を学びました。このカルミネ聖堂のブランカッチ礼拝堂では、ちょうど1424年から28年にかけてマサッチオ(1401〜28)が《貢の銭》(1424頃〜28)と題した壁画を制作しています。

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マサッチオ 貢の銭 1424頃-28 フィレンツェ サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂 (パブリックドメイン)

 リッピは《貢の銭》から、遠近法を活かした現実的な空間構成や人体表現を学びとります。更に北方(フランドル)の画家たちの細部表現など他の様々な要素も取り入れながら研鑽を積み、流麗な線描と明るく繊細な色彩を特徴とする独自の画風をつくり上げていきます。パトロンにも恵まれ、そのなかにはフィレンツェの支配者であるコジモ・ディ・メディチ(1401〜1464)もいました。

 恋多き修道僧、リッピ。

 画家としての才能にあふれたリッピでしたが、大きな問題がありました。それは生涯独身を守るべき修道士の立場でありながら、女性との浮き名が絶えなかったのです。彼は一度気に入った女性を見かけると、たちまち頭のなかは新しい恋で一杯になってしまいました。思いを叶えるためなら自分の財産をすべて贈ることもいといません。それでも恋した女性を射止められなければ、肖像画を描くことで熱い思いを鎮めようとしました。

 この行いにパトロンたちは頭を抱えます。仕事を頼んでもいつ放り出すか、そしてちゃんと仕事に戻ってくるかもわからないのです。とうとうある日、業を煮やしたコジモ・ディ・メディチが強硬策に出ます。リッピを仕事に専念させるべく、自邸の一室に閉じ込めたのです。

 しかし、リッピはそんなことでおとなしく諦める男ではありませんでした。2日後、彼はシーツを切って縄ハシゴをつくり、窓から脱走を遂げます。事態に気づいたコジモが、画家を連れ戻せたのはそれから数日後でした。この事件以後、彼は寛容策に切り替え、自由な外出を許します。そしてリッピのほうでも、コジモの注文には「打てば響くように」応えたそうです。

代表作《聖母子と二天使》

さて、彼の代表作を見てみましょう。

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フィリッポ・リッピ 聖母子と二天使 1465 ウフィツィ美術館(フィレンツェ) (パブリックドメイン)

 遠近法を活かした奥行のある構図、髪を飾るヴェールや真珠、ドレスの襞の精緻な描写、窓の向こうの遠景など、まさにリッピの魅力の詰まった、彼の集大成というべき作品です。この聖母子のモデルは先にも触れた駆け落ち事件の相手で、のちに妻となった修道女ルクレツィア・ブーティと彼女の間に生まれた息子フィリピーノと言われています。

 たしかに、うっすらと描かれている光輪がなければ、愛情に満ちた家族を描いた肖像画のようにも見えます。特に聖母の前髪を抜いて額を広く見せるスタイルや青緑色のドレスは、当世の流行を反映したものであり、神聖な「天の女王」というよりも、現実にいる貴婦人のようです。彼女に抱きつこうと、天使たちによって抱え上げられた幼児イエスが丸々とした手を伸ばしています。そんな我が子を見つめるマリアの表情は穏やかで、母親らしい優しさのなかにもどこか寂しそうな気配が漂い、それが絵を見る私たちに忘れがたい印象を残しています。

リッピからボッティチェリへ、受け継がれるもの。

 そして、リッピの弟子であるボッティチェリは、初期の作品で何点かこの絵を模倣したと思われる作品を残しています。

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(左)サンドロ・ボッティチェリ 聖母子と天使 1465-67 捨て子養育院(フィレンツェ) (パブリックドメイン)
(右)サンドロ・ボッティチェリ 聖母子と二天使 1468-69 カポディモンテ美術館(ナポリ) (パブリックドメイン)

 《聖母子と天使》では、師の作品をなぞりつつも、窓枠をアーチに、天使を一人に減らす、あるいは見えないなど細部に変更を加えています。一方、《聖母子と二天使》では構図を左右反転させており、壁の向こうには糸杉やこんもりとした茂みなどの風景が広がっているのを見ることができます。このような模倣と自分なりのアレンジを加味することの繰り返しを通じて、ボッティチェリは師リッピがつくり上げた流麗な線描と愛情に満ちた聖母子像の型を自分のなかに取り入れ、土台として定着させていった、そんな過程をうかがうことができます。そして、それらに磨きをかけ、より洗練された表現をつくり上げていったのです。その成果のひとつが《聖母子(書物の聖母)》です。

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サンドロ・ボッティチェリ 聖母子(書物の聖母) 1482-83 ポルディ・ペッツォーリ美術館所蔵(ミラノ) © Milano, Museo Poldi Pezzoli, Foto Malcangi

 聖母マリアが書物を広げ、幼いイエスに字の読み方を教えている途中、ふと我が子が手にしている茨の冠や釘が目に入ったことで将来の受難を予感してしまう、そんな場面です。そんな母を見上げている幼児は、いまにも落ち着きなく手足を動かしそうでもあり、師リッピの描いた幼児よりも子供らしく生き生きとしているようにも思えます。

 この作品は、現在、東京都美術館(上野)で開催されているボッティチェリ展で見ることができます。同展覧会には、リッピの初期作品や貴重な素描、さらにリッピの息子でボッティチェリの弟子、のちにはライバルともなったフィリッピーノ・リッピの作品も展示されています。フィリッポ・リッピからボッティチェリ、そしてフィリッピーノへと受け継がれていく流れをぜひ自身の目で確かめてみてください。

ボッティチェリ展
会期:2016年1月16日~4月3日
場所:東京都美術館
住所:東京都台東区上野公園8-36
問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開室時間:09:30~17:30(入室は閉室の30分前まで。金曜日は20:00まで開室)
休室日:月、3月22日(火) ※3 月21日(月)、3月28日(月)は開室
URL:http://botticelli.jp

ぬQの個展「カゼノフネ公園」がTETOKAで開催!

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「各々が思い思いの時間を過ごす『カゼノフネ公園』は、発展と過密の一途を辿る現代を生きる、私たちの理想郷です」。初公開となる新作《カゼノフネ公園》についてこのように語る、アーティスト・ぬQ。東京では約3年ぶりとなる個展が、TETOKA(東京・千代田区)で開催される。

 ぬQは、アニメーションや絵画、マンガ作品を制作しているアーティストだ。処女作であり代表作のアニメーション《ニュ〜東京音頭》(2012)は、第18回学生CGコンテスト最優秀賞を受賞し、第16回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品にも選出され、国内外で話題となった。近年では、ロックバンド・チャットモンチー「こころとあたま」のミュージックビデオ(2015)、ローソン「新 黄金チキン」のプロモーション映像(2015)など、コマーシャルワークも多く手掛けている。2016年8月には、川崎市市民ミュージアム(神奈川)でのグループ展への参加も決定している。

 ぬQの作品の魅力は、現実的な問題がデフォルメされた、ポップで可愛らしい一方で少し不気味でもある世界と、個性豊かなキャラクター。彼女の制作の根底には、私たちが日々の生活の中で直面する矛盾や不安と、それを解決しようとする意志が存在するという。登場人物たちが不条理な出来事に立ち向かう様子には、作者自身の姿が投影されているようにも見える。

 会場では、展覧会オリジナルグッズや、作品をモチーフにした飲食メニュー「キメキメハッピ〜」(カクテル)や、「キラキラプリティ〜」(ティーセット)も用意されている。また、アーティストのシシヤマザキ、マンガ家のタナカカツキをゲストに迎え、トークイベントも開催される。

ぬQ「カゼノフネ公園」
会期:2016年4月1日〜24日
場所:TETOKA
住所:東京都千代田区神田司町2-16 楽道庵1階
電話番号:03-5577-5309
開館時間:16:00〜23:00
観覧料:1ドリンク制
休館日:水休 
URL:http://tetoka.jp/
※イベントにより営業時間等の変更あり。(詳細はTETOKAホームページ、フェイスブックに掲載)

【オープニングレセプション】作家在廊
開催日時:4月2日 20:00〜22:00

【トークイベント】
開催日時:4月2日 18:30開場 19:00開演
ゲスト:シシヤマザキ
定員:30名(先着順)
参加料:1500円(1ドリンク付)

【トークイベント】
開催日時:4月16日 18:30開場 19:00開演
ゲスト:タナカカツキ
定員:30名(先着順)
参加料:1500円(1ドリンク付)

攻めまくる静物画家モランディを学芸員・成相肇が語る

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静物や風景をひたすら描き続けたイタリアの画家、ジョルジョ・モランディの大規模な回顧展「ジョルジョ・モランディ─終わりなき変奏」が、東京ステーションギャラリーで開催されている。フォーヴィスムや未来派が興隆した20世紀初頭に、日常のモチーフを組み替えながら無数のイメージを生み出したモランディが目指したものとはなんだったのか。静物画の「ヴァリエーション」に焦点を当てた本展について、そしてモランディの画業について、東京ステーションギャラリー・担当学芸員の成相肇に聞いた。

──はじめに展覧会の概要を教えてください。

 日本でのジョルジョ・モランディの個展は、1989~90年に神奈川県立近代美術館をはじめ全国5館を巡回した初回顧展「モランディ展」、98~99年に東京都庭園美術館ほかで開催された「静かなる時の流れのなかで ジョルジョ・モランディ 花と風景」展に引き続き、今回で3度目となります。実に17年ぶりの個展です。本当は2011年にも開催される予定だったのですが、東日本大震災と原発事故の影響を受けてイタリアの保険会社が美術品を保険の対象外としたため、やむなく中止となってしまいました。それによっていっそうモランディ熱が高まったため、今回の展示はモランディ展を待ち望んでいた人たちにとっても非常に興味深い内容になっていると思います。

 サブタイトルの「終わりなき変奏」が端的に表しているように、展覧会のテーマは「ヴァリエーション」です。モランディは同じような瓶や壺を少しずつ組み替えて配置し、傍目にはわずかにしかない差で、静物を生涯にわたって描き続けました。ヴァリエーションというテーマは、まさにモランディを真正面から扱う王道的な切り口です。

 出品作品としては、構図が似ているものや同一モチーフが登場するものなど、類似した作品を集めて紹介しています。ただ、「ヴァリエーション」と「繰り返し」は違います。画家自身も、「私は、より多くの時間をかけることで、自分自身を繰り返す危険を避けてきたと思います」と語っています。ほとんど同じような構図の絵を比べて見ると、同じ白い瓶を描いていながら一方では赤味を帯びていたり、テーブル線の位置が違ったり、サインの色が変わったりなど、わずかな差異が浮かび上がってきます。本当に細かいコントロールをしていて、そこがモランディの面白いところです。

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東京ステーションギャラリーでの「ジョルジョ・モランディ─終わりなき変奏」展示風景

──展示の構成について特色はありますか?

  作品を年代順に辿るのではなく、11のセクションごとに「溝に差す影」「矩形の構成(コンポジション)」「縞模様の効果」などのテーマを設けました。油彩、版画、水彩、素描あわせて約100点の作品を11のセクションに分けるのはかなり細切れの見せ方で、今回の展覧会の大きな特色になっています。1~9章までは静物画を集めていますが、モランディは静物以外の主題も描いているので、10章で風景画を、11章で花の作品を紹介しています。風景に対するアプローチは静物におけるヴァリエーションに近いと言えるでしょう。アトリエの窓から見た同じ景色を何度も描いています。一方で花の絵は、基本的には造花をモチーフとしていて、家族や友人などへの贈り物として描いていたようです。静物や風景と異なり、プライベートのための作品と考えていたのかもしれませんね。

 東京ステーションギャラリーがけっして大きくない美術館ということもあり、作品間の差異を見比べることができるように、作品を求心的にぎゅっと収める展示構成を目指しました。なにより作品自体に説得力がありますし、とても贅沢な空間に仕上がっていると思います。

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ジョルジョ・モランディ 花 1952 ミラノ市立ボスキ・ディ・ステファノ邸美術館 
© Comune di Milano- Casa Museo Boschi Di Stefano

ボリュームと密度がぶつかり合う輪郭線

──「同じような絵ばかりでどう見たらいいのかわからない」という人もいるかと思います。作品の見どころを教えてください。

 よくモランディの絵画は「静謐」「静寂」といった形容で語られますが、実際は静かではないんです。「シンプル」でも「簡素」でもありません。実物の作品は図版とは見え方がまったく違います。

 たとえば、モランディはテーブルの水平線を決定するとき、背景の手前にテーブルがあって、そのテーブルの上に静物が並んでいる、という見方はしていなかったはずです。画面のなかで、テーブル面と背景は等価なのです。ふたつの色面がまったく等価な立場でせめぎ合い、その結果としてようやく境界線が発生しているのだと思います。せめぎ合いによって空間がつくられていく過程は、とてもスリリングです。

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ジョルジョ・モランディ 静物 1952 キャンバスに油彩 国立国際美術館蔵

 たとえば《静物》(1952、国立国際美術館蔵)では、左側のオブジェが高さをそろえて並べられていますが、円筒型をしたオブジェの後ろに隠れているはずの赤褐色の花瓶の端っこが、なぜかはみ出して円筒にニュッと食い込んでいます。このように細部を見ていくと、オブジェ同士、あるいは空間同士がせめぎ合ったときの争いの痕跡が伝わってきます。なぜこんなことをしたのかはわからないけれど、描いていくなかでモランディにとっては必要な作業だったのでしょう。

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ジョルジョ・モランディ 静物 1958 キャンバスに油彩 モランディ美術館(ボローニャ)蔵 
© Sergio Buono, Bologna

《静物》(1958、モランディ美術館蔵)も面白い作品です。手前に小さな黒のオブジェがありますが、これがなくても絵としては充分成立しているのに、ピリオドをドーン!と打つみたいにコイツが置かれることで、一気に絵のなかの主役になっています。とても実験的なことをやっていますよね。それと、影にも注目してほしいです。背景もそうですが、モランディの絵では二次的に見られがちなものが強く主張しています。

 モランディは対象をじっくり凝視して描いた画家だと思われがちだけど、同じものを何度も描いている割には質感が変わりません。ほとんど見ないで描いた絵もあるのではないかと個人的には考えています。少なくとも表面はそんなに見ていないでしょう。目の前のオブジェが陶器なのか金属なのか、材質感自体はどうでもよくて、画面のなかでどれだけ力を持つか、もしくはボリュームがどれくらいあるかなど、パワーバランスのほうをむしろ重視していたのではないでしょうか。

 モランディの絵では同じ瓶や器が何度も登場するので、「この絵ではこの瓶がちょっと悲しそうに見える」など、擬人化して見る鑑賞者の方も多いのですが、そうすると結局、「背景があってテーブルの上にものがあって......」という通常の空間ヒエラルキーに基づいた静物画の見方に留まってしまいます。悪くはないですが、それだけだと少しもったいない見方かな、と思います。空間が奥に引っ込んだり手前に来たり、膨らんだり縮んだりする動きがモランディ作品の醍醐味だと思うので、鑑賞のポイントとしては、背景や輪郭に注目してほしいです。同じ瓶でも、途中で線が途切れたり、揺らいだり、それぞれがまったく違う輪郭を持っています。背景を見れば、瓶以外の部分が主役になっているパターンも楽しめるでしょう。

──成相さんはカタログの邦文献リストの作成を担当されていますね。今回、モランディをめぐる日本の言説に触れて、印象に残ったことはありましたか?

 日本人が書いたモランディについての文章はひと通り目を通しました。先ほどのボリュームの話と絡めると、僕は岡崎乾二郎さんのモランディ観に強く影響を受けています。特に、岡崎さんが監修された『美術手帖』2008年8月号の「現代アート基礎演習」が最高に面白くて、何度も読み返しました。

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『美術手帖』2008年8月号「現代アート基礎演習」P38〜39

 この特集では、岡崎さん考案の「演習」として、「絵画の平面を粘土の厚みとして味見しよう!」という課題が出されているんですね。まず、木枠のなかに粘土を詰めて粘土板をつくり、絵画平面に見立てます。次に、モランディの静物画の密度や堅さ、奥行きを感じながら、お弁当におかずを詰めるように粘土をぎゅうぎゅうに詰めて、模写する要領で粘土板によるモランディ絵画をつくっていきます。こうすると背景の部分にも粘土を詰めることになるので、オブジェと同等の密度やボリュームが背景に生まれるんです。完成写真を見ると、「ああ、モランディの絵で大事なのは密度やボリュームなんだな」と実感できます。絵のなかで行われている実験がいかに操作的で攻めまくっているか、よくわかるのではないでしょうか。

アヴァンギャルドでクラシカルな、モランディ作品

──その攻めまくっている実験を、飽くことなく何度も反復するところがすごいですね。展覧会テーマである「終わりなき変奏」に即した質問となりますが、なぜモランディはこれだけヴァリエーションの作品を描き続けたのでしょうか?

 何度やっても飽きなかったとも言えるし、満足できないから何度もやったとも言えるでしょう。モチーフを組んで、絵を描いて、完成したらまたいったんほどいて、もう一度最初から良く似た構成をつくって、違う完成形を目指して......。よく考えてみれば相当に大変な作業ですし、過酷なことをやっていたと思います。連作にかぎらず、全作品がヴァリエーションと言っても過言ではありません。

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自宅でのモランディ 1961年  © Antonio Masotti, Bologna

 モランディは生まれ故郷のボローニャに住み続けたというエピソードのせいもあって、引きこもりのイメージで語られやすい画家です。でも、モランディはアヴァンギャルドの運動とは対極的な地味なスタイルを選んだ、といったストーリーに当てはめて考えるのは間違いだと思います。

 モランディは1890年生まれなので、同時代の画家にはシュルレアリスムのマックス・エルンスト(1891年生まれ)やマン・レイ(1890年生まれ)、形而上絵画のジョルジョ・デ・キリコ(1888年生まれ)がいました。少し下の世代になると、アーシル・ゴーキー(1904年生まれ)やジャクソン・ポロック(1912年生まれ)といった抽象表現主義を担う画家たちが出てきて、20世紀絵画の主舞台がヨーロッパからアメリカへと移ります。つまりモランディは、20世紀初頭のヨーロッパ絵画における最後の実験的な世代なんですね。先ほど述べた空間の押し引きの問題にしても、慣習的な視覚を打ち破って絵画の奥行きと手前を転倒させたキュビスムの実験と相通ずるものがあります。いかに空間を画面に定着させるかという同時代のアヴァンギャルドの問題意識は、間違いなく共有していたでしょう。

 一方でモランディは、ピエロ・デラ・フランチェスカやジョット・ディ・ボンドーネといったイタリア古典絵画の巨匠に対する憧れも強く抱いていました。ピエロ・デラ・フランチェスカは《出産の聖母》(1465頃)で同じような顔の人が横一列に並んでいる絵を描いているのですが、類似したものが淡々と並ぶことによって生まれる奇妙な空間は、モランディの絵を思わせるところがあります。

 アヴァンギャルドに傾き過ぎると、どうしても「見て見て!」と作品を誇張するような激しい表現にいきがちです。しかしモランディ作品は、ヴァリエーションによってクラシカルな様相を帯び、激しさを留めている感じを受けます。

 アヴァンギャルドであることとクラシカルであることは、モランディにとっては両立できるものであり、目指すポイントでもあったのでしょう。画家が選んだ、同じ場所で同じものを描き続けるというスタイルは、決して反アヴァンギャルドではなくて、オルタナティブな在り方としてのアヴァンギャルドだったと思います。未来派や形而上絵画などの同時代のアヴァンギャルドに、モランディは初期だけ接近してすぐに離脱したと言われることが多いのですが、むしろアヴァンギャルドを追求し続けた結果、何度も同じような静物を描き続けるスタイルになったのだと考えています。

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ジョルジョ・モランディ 静物 1955 ルチアーノ・パヴァロッティ・コレクション モランディ美術館(ボローニャ)寄託
© by concession of Cristina and Giuliana Pavarotti, photo Matteo Monti, Bologna

──オルタナティブな存在としてのモランディを確認するためにも、時間をたっぷりとって見たい展覧会ですね。何度も足を運びたくなります。

 とにかくこんなにモランディ作品が集まる贅沢な機会はめったにないので、たくさんの方に見てほしいですね。見ないなんて信じられないですよ(笑)。3月15日から31日までは、「学生無料ウィーク」なので、学生さんは無料で観覧できます。また、20名以上で来館すると、団体割引で一般800円、高校・大学生600円になります。通常料金から300円引きで、とってもオトクです。知らない人でもいいから、20名集めて来てください!

聞き手・構成=中島水緒

ジョルジョ・モランディ─終わりなき変奏
会期:2016年2月20日〜4月10日
場所:東京ステーションギャラリー
住所:東京都千代田区丸の内1-9-1
電話番号:03-3212-2485
開館時間:10:00〜18:00(入館は閉館30分前まで、金曜日は20:00まで開館)
入館料:一般 1100円/高校・大学生 900円/中学生以下 無料
休館日:月曜日(ただし3月21日は開館)、3月22日
URL:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201602_morandi.html

「描くこと」を考える。マキファインアーツで末永史尚個展

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ドーナツ状の立体に黄色と黒の「模様」が施された作品(上写真)は、工事現場などで見かけるロープをモチーフとしたもの。2016年4月2日より、Maki Fine Arts(東京・神楽坂)にて開催される末永史尚の個展「息づきの絵画」では、日用品の形態を単純化し「表面の要素」だけを描き写して制作されたシリーズが展示される。

 1974年生まれの末永史尚は、パズルやタングラム、マンガ、商品パッケージなどから着想した絵画作品を発表してきたペインター。近年では、愛知県美術館の企画「APMoA Project」の一環として、額縁や図録をモチーフとした「絵を見る」という行為自体について問い直す作品群を「ミュージアムピース」(2014)と題して展示。埼玉・所沢で行われた、作家と批評家による企画「引込線2015」(旧所沢市立第2学校給食センター、2015)にも参加している。

 たびたび「描くこと」の本質について問題提起する作品を発表してきた末永が、本展に出品するのは、日用品をモチーフにした新作シリーズ。ロープや消しゴムといった身近なものと同サイズのパネルを制作し、モチーフの表面の要素のみを描き写して制作された、立体的な「絵画作品」だ。東京ステーションギャラリーの学芸員・成相肇は、本展に寄せて、末永の作品には「影が無」く、それゆえ「いつもまっさらで、清らかで、軽くて、どこかかわいらしい」と語る。

 本展会場のMaki Fine Artsで2015年に開催されたグループ展「控えめな抽象」では、キュレーションも手掛けた末永。同ギャラリーでは2度目の個展となる。このシリーズのみでの展示は、初めての開催。

末永史尚 息づきの絵画
会期:2016年4月2日~5月1
会場:Maki Fine Arts
住所:東京都新宿区改代町4 黒川ビル1
電話番号:03-5579-2086
開館時間:12:00~19:00
休館日:月、火、祝日
URL:http://www.makifinearts.com/jp/

虫眼鏡で見たい職人技! 細密工芸の華、根付と提げ物の展覧会

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精緻で遊び心にあふれる日本の工芸品は、世界的に高い評価を受け、愛好家も多い。なかでも明治以降、欧米で珍重され大量に海外流出したものの一つが「根付」だ。小物を入れるための「提げ物」と呼ばれる袋物を、着物の帯に固定する際の留め具のことで、象牙や木などさまざまな素材で制作された。いまで言うところのストラップ。この根付と提げ物の展覧会が、4月2日からたばこと塩の博物館(東京・墨田区)で開催される。

 数センチの小さな形態の中に日本の職人技の粋が凝縮した根付は、明治以降、美しい工芸品として大量に海外の愛好家たちのもとへ流出した。また日本国内でも洋装が主流となったことで根付の需要は減り、現在、私たちがまとまった数の根付を見る機会は限られている。今回、たばこと塩の博物館リニューアル1周年を記念して開催される「細密工芸の華 根付と提げ物」では、約370点の根付が並ぶ。

 同展では、多種多様な根付を制作年代で分類し、江戸時代に制作されたものを「古典根付」、明治・大正・昭和時代前期ころの制作のものを「近代根付」、昭和時代中期以降の制作のものを「現代根付」として展示する。特に「近代根付」の巨匠とされる森田藻己(もりたそうこ)の作品13点、根付の研究者でありコレクターであった高円宮憲仁親王殿下の「現代根付」コレクションの10点は注目だ。

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マイケル・バーチ メビウス達磨 現代根付 5.3 cm マンモス牙 高円宮殿下コレクション

 また会場では、巾着、印籠、たばこ入れなどの提げ物約80点と、根付に関する文献資料などをあわせて展示する。展覧会を通じて、江戸時代以降、男性たちの腰回りを飾ったおしゃれアイテムに、日本人の美意識とこだわりを見ることができるだろう。

細密工芸の華 根付と提げ物
会期:2016年4月2日~7月3日
会場:たばこと塩の博物館
住所:東京都墨田区横川 1-16-3
電話番号:03-3622-8801
開館時間:10:00~18:00(入館は閉館30分前まで)
休館日:月休
入館料:一般・大学生 300円 / 小中高生 100円 / 満65歳以上(要証明書) 150円
URL:https://www.jti.co.jp/Culture/museum/

諏訪敦が描く忘れられた人々の肖像、満州で没した祖母を訪ねて

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写実絵画で知られる画家の諏訪敦が、終戦直後に満州で亡くなった祖母の肖像を描いた。4月4日から成山画廊(東京・九段)で始まる個展での公開に先立ち、諏訪が祖母の足跡を追って同地に渡り取材した一連の様子を追ったドキュメンタリー番組「忘れられた人々の肖像〜画家・諏訪敦 "満州難民"を描く〜」が4月2日夜、NHK系列で放送される。

 戦後70年を迎えた2015年、諏訪敦は満蒙開拓団の足跡をたどり、出会うことのなかった祖母の肖像の制作に取り組んだ。諏訪の祖母は、終戦の年の春に満蒙開拓民として満州(現在の中国東北部)に渡り、終戦直後、その地で31歳の若さで亡くなった。17年前の1999年に亡くなった諏訪の父が遺した手記には、ハルビンの難民収容所で飢餓と伝染病に苦しむ開拓団の人々の姿が記されていた。

 4月2日に放送されるテレビ番組は、満蒙開拓団の実態と父の家族について知るべく、中国東北部を旅する諏訪のドキュメンタリー。現地取材によって明らかになった「忘れられた人々」の事実と彼らへの思いを胸に、諏訪は31歳の祖母を描くべくキャンバスに向かう。

 写実絵画を見て、多くの人が賞賛を込めて「まるで写真のようだ」という。そこには、前提としてカメラは現実をそのままに写すという認識がある。では、カメラやビデオが記録できなかった歴史、画家が絵画に写しとる真実とはなんだろうか。戦後70年に撮影されたドキュメンタリー映像と、個展会場に展示される諏訪の作品の克明な描写のなかに、忘れられた人々の姿が見出せるだろう。成山画廊の個展では、祖母の肖像の下図、本画のほか、諏訪が今回の取材をもとに描いた満州の風景画なども展示される。

NHK ETV特集
「忘れられた人々の肖像〜画家・諏訪敦 "満州難民"を描く〜」
放送日:2016年4月2日 23:00〜(再放送:4月9日 24:00〜)
放送チャンネル:NHK Eテレ


諏訪敦 HARBIN 1945 WINTER
会期:2016年4月4日~4月16日
会場:成山画廊
住所:東京都千代田区九段南2-2-8 松岡九段ビル205
電話番号:03-3264-4871
開館時間:13:00〜19:00
休廊日:水、日、祝休
URL:http://www.gallery-naruyama.com/

東京は未来的か? 椹木野衣が見た「東京アートミーティングⅥ」

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ジャンルを越えて新しいアートの可能性を探る展覧会シリーズ「東京アートミーティング」が東京現代美術館で開催された。第6回目を迎える今回は「東京」をテーマに、さまざまな領域のプロフェッショナルによる展示空間のキュレーションやアーティストが新作を発表。複雑化する都市・東京にフォーカスした本展を、椹木野衣がレビューする。

椹木野衣 月評第92回
虚ろな東京──科学博の彼方に
「東京アートミーティングⅥ」"TOKYO"ー見えない都市を見せる』

 東京という巨大な謎を読み解くのに、単一の視点が有効でないというのは、誰もが納得せざるをえまい。ゆえに本展では、6人(組)のゲスト・キュレーターが思い思いに構成した東京の姿が個別にあり、そこに加えて本展のために特別につくられた新作が散りばめられている。だが、それだけでは展覧会というよりショーケースにしかならない。本展の成否を分かつのは、「メタ・キュレーション」と名付けられたディレクションが、一見しては雑多なこれらの陳列を、いかに「見えない力」で束ねうるかにかかっている。「見えない都市を見せる」とサブタイトルに謳われている通りであろう。

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テイバー・ロバック 20XX 2013  Courtesy of the artist and Team Gallery

 そのために本展が基点に置いているのが、1980年代の東京だ。この時代の東京はバブル経済の気運のもと、好景気に支えられて消費社会が跳躍し、多幸症的な気分の中でサブカルチャーがいっせいに花開いた。しかも、リアルタイムで世界へと発信された。長く欧米の背を追い続けてきた極東の島国が近代以後初めて、世界のカルチャー・シーンをリードしたのである。

 カタログの主文で企画者の長谷川祐子が「東京は今でも未来的か ?」と回顧を前提に疑問符で書き付けるのは、このことによる。言い換えれば、この問いこそが、本展を支配するメタ・キュレーションの実体だろう。ショーケースを思わせるバラバラの展示が、たんに雑多に「見える」だけか、それとも未来を切り開きうる可能性を宿して「見える」かは、ひとえに、この問いをめぐる説得力にかかっている。

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蜷川実花キュレーションによる展示風景 撮影=森田兼次

 こうして、目に見える展示だけでは「見えない」メタ・キュレーションでは、それを基底で支えるはずのテキストが、ことのほか重要なものとなる。しかし、先に引いた長谷川の問いが、テキストの冒頭ではなく末尾に置かれていることに端的に示されているように、この問いは見る者に向けて野放図に投げ放たれているだけだ。その代わりに随所で示されているのが、全体を俯瞰する展覧会のマップでありチャートである。しかし地図だけを示されても、私たちはそれをどう歩いてよいかわからない。だが、自由に歩いて好きに考えてくださいというのなら、やはり本展は羅列以上のものにはならない。

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トーマス・デマンド 制御室 2011 © Thomas Demand, VG Build-Kunst, Bonn / JASPAR, Tokyo 東京都現代美術館蔵

 私見では、1980年代というのは、見かけの華やかさに反して恐ろしい時代であった。たとえば、85年の夏には「つくば科学万博」から帰る客を多く乗せた日航機が航空機史上最悪の墜落事故を起こし、翌年の初めには宇宙開発の夢を託した米国のスペースシャトルが空中分解。直後にはチェルノブイリで未来のエネルギー源であったソ連の原発が爆発炎上した。本展ではYMOの未来主義的な「テクノ・ポップ」が魔法のキーワードのように強調されているが、背後で連鎖したテクノロジーの破局は語られない。

 だが、いま「東京は今でも未来的か?」と問うなら、もはやこれら負の遺産から目を背けることはできない。「東京は今なお未来的だ」と言えるとしたら、原子力緊急事態宣言発令下でもなお五輪を決行しようとする、ディストピアSFそのままと言ってよい未知=既知の具現化においてのことにほかならないからだ。ちょうど1980年代に一世を風靡した大友克洋の『AKIRA』がそうであったように。

PROFILE
さわらぎ・のい 美術批評家。1962年生まれ。近著に『後美術論』(美術出版社)、会田誠との共著『戦争画とニッポン』(講談社)、『アウトサイダー・アート入門』(幻冬舎新書)など。8月に刊行された『日本美術全集19 拡張する戦後美術』(小学館)では責任編集を務めた。『後美術論』で第25回吉田秀和賞を受賞。

『美術手帖』2016年4月号「REVIEWS 01」より)

東京アートミーティングⅥ "TOKYO"ー見えない都市を見せる
会期:2015年11月7日~2月14日(終了)
場所:東京都現代美術館
アーツカウンシル東京の一環として2010年から始まった展覧会「東京アートミーティング」の6回目。YMO+宮沢章夫、蜷川実花、ホンマタカシ、岡田利規、EBM(T)、松江哲明の6組は1980年代をキーワードに各々のトピックで展示空間をキュレーション、またスーパーフレックス、サーダン・アフィフ、林科(リン・ク)、目【め】の4組は「東京」をテーマに新作を発表。ほかに東京都現代美術館収蔵作品を中心に9か国51組の作品を紹介した。企画は同館の長谷川祐子。

「私」と身体を問う。義足のアーティスト・片山真理が個展開催

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現代美術や音楽、執筆など、幅広い分野で活躍しているアーティスト・片山真理。彼女は先天的な足の病気をもって生まれ、両足を切断して義足で生活している。成長するにつれて次々と交換され、押し入れに溜まっていく義足と、鏡の中の義足をつけた自分自身の姿。それらは「私であって私でないもの」だった。2014年の「片山真理展 You're mine」(TRAUMARIS)以来となる、彼女の2度目の個展が、3331 Arts Chiyoda(東京・秋葉原)にて開催される。

 「片山は9歳のとき、両足を切断することを自らの意志で決めた」と、室井尚(哲学者、横浜国立大学教授)は本展の寄稿で述べている。子どもの頃にはいじめを受け、学校に行かないことも多かった片山に転機が訪れたのは、高校1年生のときだ。スタイリスト・島田辰哉のファッションモデルを務めたのである。この出会いをきっかけに、義足に絵を描くようになると同時に、「思想はファッションや身体で表現できる」と感じたという。この頃からつくり始めたアクセサリーは、現在の作品のベースになっている。

 高校時代、就職に向けて勉強に励んでいた片山は、進路指導の先生に勧められ、群馬青年ビエンナーレに初めての作品《足をはかりに》(2005)を出品して奨励賞を受賞。近年では「アートアワードトーキョー2012」でのグランプリ受賞、「あいちトリエンナーレ2013」への出品など活躍を続け、開催中の「六本木クロッシング 2016:僕の身体(からだ)、あなたの声」にも出品している。作品制作を初めて10年が経ついまも、「義足は装いであり、生きるためのものだが、ただの道具である」という視点は変わらない。

 本展は、シルエットを写したモノクロポートレートの新シリーズと、片山自身の部屋を思わせるインスタレーションから構成される。片山だけの身体的特徴を介して生み出された作品には、誰しもが持つ「身体感覚」を揺さぶる力がある。

3331 GALLERY #030 片山真理 個展「shadow puppet」
─3331 ART FAIR recommended artists─
会期:2016年4月1日〜4月30日
場所:3331 GALLERY
住所:東京都千代田区外神田6-11-14 3331 Arts Chiyoda 1階 104(3331 GALLERY)
開館時間:12:00〜20:00
休館日:会期中無休

花代と沢渡朔が撮った「点子」展、ギャラリー小柳にて開催

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写真家の花代と沢渡朔による、モデルの点子を被写体とした写真展が、ギャラリー小柳(東京・銀座)にて開催される。2人の写真家が、花代の娘でもある点子の成長と変化を切り取った作品を発表する。

 1990年代に芸者の修行をしながら写真や音楽を発表して話題となった花代は、自身の日常の風景などを淡い色彩で切り取った写真作品で知られるほか、音楽やパフォーマンスの分野でも活動しているアーティスト。近年では、Diorの広告写真(2013)などを手掛けている。沢渡朔は、ポートレートやグラビアなどを中心に活動する写真家。不思議の国のアリスの物語をモチーフに73年に刊行された写真集『少女アリス』(河出書房新社)は、現在まで重版が重ねられている。

 本展で2人が発表するのは、花代の娘である点子を被写体とした作品。花代とドイツ人の父親の間に生まれた点子は、現在ロンドンの大学に通いながら、モデル・女優・アーティストとして活動している。幼少の頃から『少女アリス』を愛読し、15歳で沢渡に出会って以来、たびたび彼の被写体となってきたという。

 本展では、さまざまな出来事のなかで変化していく点子の姿を、母親である花代と、『少女アリス』に通じる距離感で彼女に向き合ってきた沢渡の、2人の目線で写し出す。期間中の4月10日には、本展出品作品による写真集『点子』(POST)の刊行を記念し、代官山蔦屋書店にて、花代と飴屋法水によるトークイベントなどを開催予定。

花代 & 沢渡朔 「点子」
会期:2016年4月2日~5月14日
会場:ギャラリー小柳
住所:東京都中央区銀座1-7-5 小柳ビル8階
電話番号:03-3561-1896
開館時間:11:00~19:00
休館日:日、月、祝日
URL:http://www.gallerykoyanagi.com/

【出版記念 トークイベント】
日時:4月10日 19:30~
会場:蔦屋書店代官山店
ゲスト:花代、飴屋法水
URL:http://real.tsite.jp/daikanyama/event/2016/03/post-106.html

日時:4月12日19:00〜21:00
会場:DOMMUNE
ゲスト:花代、点子、沢渡朔、飯沢耕太郎

清川あさみがつむぐ、15年周年の新作個展「ITOTOITO」

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ファッション、広告、アートなど多岐にわたって活躍するアーティスト、清川あさみ。彼女の活動15周年を記念する新作個展「ITOTOITO」がGYRE(原宿)で開催される。本展では、新作「1:1」「わたしたちのおはなし」「TOKYOモンスター」の3シリーズを展示。どのシリーズも清川が初期から意識的に向き合ってきた、個人の内面に潜むコンプレックスなどの感情を、糸を用いて表現している。

糸と糸が織りなし、つむぐ
ソーシャルメディアにおける日常と虚構

 清川あさみが自身の原点といえる原宿で新作展を開催する。美術大学を卒業したというわけでもない彼女が作品を制作するようになったのは、淡路島から上京したその日に原宿の路上で読者モデルとしてスカウトされ、メディアに出演する側として自分を素材に表現しはじめたことがきっかけだった。それから15年。清川はファッション、広告、アートなど、様々な文脈や立場でクリエイションに携わる。アーティストとしてのターニングポイントとなった「Complex」シリーズや、雑誌『FRaU』での連載により幅広いファンを獲得した「美女採集」シリーズは彼女の代表作であり、いずれも彼女自身がディレクションし撮影された写真に、刺繍を施すという手法で制作されている。

 これまでの清川は、彼女特有の領域をまたいだ活動の現場において出会う人々の姿に垣間見える「心のほころび」のようなものを作品として昇華してきた。一見すると美しく完璧な装いの女性に宿る、欲望や身体のコンプレックスなど、外面に露出するその人のあり方と心の奥深くに眠る、人の内面。それらに針を刺し、糸を通すことで、2面に分かれていたその人らしさを、時には毒を孕んで美しくひとつの画面に描き出していったのだ。

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「TOKYOモンスター」より Exciting 前衛的な 2015 写真に糸 72.8×51.5cm
1990年代の東京のファッションカルチャーを振り返りつつ、2014年から発表を続ける「TOKYOモンスター」。今回は現代版新作として、15年にミラノサローネで発表した日本未発表の作品を展示

「TOKYOモンスター」シリーズも、個性的なファッションに見え隠れする自意識や欲を、「心のほころび」から内面に手を伸ばし、表と内面を絡めとるように制作された作品のひとつだ。本展では、西陣織の老舗「細尾」の技術とコラボレーションした新作が出品される。

 現在の清川は、さらに視野を拡大して、個と社会の関係にフォーカスした作品を制作している。
「数々の経験を経て、いま、日本のこの場所で何が見えるかを再確認したかった。そのためにもう一度、糸という素材を選び直して表現できたらと考えました」。

 新シリーズ「わたしたちのおはなし」では、個が形成される過程での重要なアイテムといえる書物が素材となった。約100冊の書物に刺繍を施す。

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西陣織の老舗「細尾」とコラボレートした、3m程のタペストリーも展示される
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「わたしたちのおはなし」(2015-16)シリーズより。清川が保有する100冊ほどの書物のページの一部にドローイングのように糸を縫い込んでいく

 また、「1:1」シリーズでは、彼女が日常的にインスタグラムに投稿してきた写真を素材としている。まず、写真をポジからネガに反転させて糸に転写し、もとの写真を覆うようにレイヤー上に配置、アクリルの額に封入する。見る角度によって、糸の裏にある写真が多様に透けて現れてくるというものだ。

 「人々がSNSに投稿する多くの写真の1枚1枚には、その裏側に折り重なるように心情や状況、日常のあり様がレイヤーとなり、凝縮されている」と観察する、清川の鋭い洞察から生まれた。

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清川あさみ 「1:1」より 2016 写真にアクリル絵具、糸 各30×30cm Photo by mikiyatakimoto

 個からの情報発信が容易になった現代だからこそ、SNSで発信される写真には、よくも悪くもセルフプロモーション的に編集された個が表出する。けれども、編集・加工を施して、ある意味では"既に社会化された"個の発信を繰り返すことによって、そもそも存在していたはずの個性が社会に溶け出して、どちらが個で社会なのか、区分けがつかなくなってしまうのではないかという問題意識を清川は感じている。こうした、コミュニティーにおける個人とその内面に潜む感情の複雑さや曖昧さを、作品として新たな形でつむぎ出そうとしているのだ。

 「現代はいろいろなことがミックスされて境界線が曖昧。だからこそ、個を表現できる時代だといえると思います。フラットな目線で様々なクリエイションの現場を経験しているからこそ、伝えたいリアルがある。それをこれからもアートとして表現していきたいです」。

 東京カルチャーの前線で活動を続けてきた清川。この新作展を通じて、複数のレイヤーが絡み合い、2016年のTOKYOが浮かびあがる。

PROFILE
きよかわ・あさみ 兵庫県淡路島生まれ。2001年初個展。03年より写真に刺繍を施す手法を用いた作品制作を開始。主な個展に、東京都庭園美術館(2009年)、水戸芸術館(2011年)など。代表作に「美女採集」、「Complex」シリーズ。『銀河鉄道の夜』(リトル・モア)、谷川俊太郎との共作『かみさまはいるいない?』(クレヨンハウス)など絵本や作品集も多数。 http://asamikiyokawa.com

 友川綾子=文
『美術手帖』2016年4月号「INFORMATION」より)

ITOTOITO
会期:2016年4月2日~5月25日
会場:EYE OF GYRE / GYRE3F
住所:東京都渋谷区神宮前5-10-1
電話番号:03-3498-6990
開館時間:11:00~20:00
休館日:不定休
入館料:無料
URL:http://gyre-omotesando.com

構想25年! 鬼才・園子温の美術館初個展がワタリウムで開催

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映画『愛のむきだし』(2008)、『冷たい熱帯魚』(2011)、『ヒミズ』(2014)を手掛けてきた鬼才・園子温。時代に挑発的な作風で社会に疑問符を投げかけてきた映画監督の初となる美術館での個展がワタリウム美術館で開催される。本展は、構想から25年、満を持して公開される新作『ひそひそ星』(2016)をもとに、そこでは語りきれなかったメッセージをインスタレーションとして発展させたものだ。

 園子温監督作品「ひそひそ星」は、自身が25年前にアパートの一室で描いた555枚の絵コンテを映画として結実させたもので、2016年5月14日に新宿シネマカリテほか全国で順次公開が予定されている。

 映画のストーリーは、神楽坂恵演じる主人公・アンドロイドはレトロな宇宙船に乗り込み、滅びゆく絶滅種となった人間たちにかけがえのないものを届けながら広大な宇宙を旅する。福島県の富岡町、南相馬、浪江町にてロケを敢行し、いまだ仮設住宅で暮らす地元の人々の協力を得て制作された。本作には会田誠や岩井俊二、鈴木敏夫、谷川俊太郎など各界のトップランナーから絶賛のコメントが寄せられるなど、多方面から注目を集めている。

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映画『ひそひそ星』より

 会場はテーマごとに3フロア(2〜4階)で分かれている。2階では映画中に登場する人々の日常を影絵というかたちで表現したインスタレーション作品を展示し、劇中での、30デシベル以上の音をたてることは犯罪行為であり人が死ぬ恐れもある、という世界を演出。3階では、90年代に敢行した園子温の原点とも言われるパフォーマンス「東京ガガガ」から誕生したインスタレーションを設置し、4階では『ひそひそ星』の555枚にも及ぶすべての絵コンテを公開している。

 園子温が持ち続けていた、人間の記憶と時間、距離に対する焦燥と憧れがモノクロームのSF映画として実を結んだ『ひそひそ星』。ささやき声でしか話すことができないその星は、現代の日本と重なるものがあるかもしれない。2016年4月には、書き下ろしのテキストや絵コンテ、福島の人たちの声を収録した展覧会カタログの刊行を予定。今作は美術館と劇場の両方で楽しみたい。

園子温 展「ひそひそ星」
会期:2016年4月3日〜7月10日
場所:ワタリウム美術館
住所:東京都渋谷区神宮前3-7-6
電話番号:03-3402-3001
開館時間:11:00〜19:00 ※水曜日は21:00まで開館
入館料:大人 1000円 / 25歳以下 800円 / 小・中学生 500円 / 70歳以上 700円
休館日:月休
URL:http://www.watarium.co.jp

【園子温×斎藤工 トークショー】
開催日時:4月9日 20:00 〜21:30 (申込締切 4月3日)
※詳細はワタリウム美術館HPをご参照ください。


映画『ひそひそ星』
公開:2016年5月14日
監督:園子温
出演:神楽坂恵、遠藤賢司、池田優斗、森康子
配給:日活

ロームシアター京都の支配人が語る、劇場と京都のこれから

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1960年に開館し、「文化の殿堂」として京都市民に親しまれてきた「京都会館」が、2016年1月10日、「ロームシアター京都」としてリニューアルオープンした。改修前の面影を残しながら新たにカフェや広場を備えたこの施設は、地方における舞台芸術や京都という土地における文化、そしてこれからの劇場のあり方を更新していくであろう「新しい時代の劇場」の姿を提示している。リニューアルの背景からこれからの展望まで、支配人兼エグゼクティブプロデューサーを務める蔭山陽太に語ってもらった。

外から見ると懐かしい、中に入ると新しい。「温故知新」なリニューアルのかたち

──約4年にわたる改修工事を経て、「ロームシアター京都」がオープンしました。まずは、施設の概要や、コンセプトをお聞かせください。

 ロームシアター京都は、近代建築の傑作ともいわれる、前川國男による京都会館のデザインを継承する姿勢のもとに設計されました。京都会館から受け継がれたメインホールとサウスホール、新たに設けられたノースホールのほか、パークプラザ、プロムナード、ローム・スクエアから構成されています。古い部分は補修し、中のスペースを広げ、必要なところには新しい構造を付け足して、不足していた機能を補いました。基礎から全面的に建て替えられたメインホール棟もほとんど当初の外見を再現していますし、改修前の構造を残している箇所もあるので、1960年と2016年という半世紀以上の時間の隔たりが共存した施設といえます。

 また、敷地自体を拡張するにあたって、京都会館の外壁だった部分を取り込んで、建物内部を南北に通り抜けられる新しい通路・プロムナードとしました。そこから外に出ると、広場のローム・スクエアがあります。

 メインホールは、今回の改修で席数は変えずに2階層から4階層のバルコニー構造にしています。舞台と客席の距離をぎゅっと詰めて、より一体感を得られる会場になりました。舞台上の天井も高くなり、コンピュータ制御による32本の電動バトンやライトブリッジも設置し、さまざまな演出が実現できる舞台機構を持つ劇場へと生まれ変わりました。客席の4列目までの床は下降してオーケストラピットにもなりますし、音響反射板も備えたので、クラシックのコンサートにも対応しています。音響も新たな設計で大幅に改善されました。今回の改修によって、初めて京都でバレエ、オペラ、ミュージカルなどの本格的な舞台芸術が公演できるようになったんです。

 パークプラザには、1階に蔦屋書店とスターバックスコーヒーのブック・アンド・カフェ、2階にはレストラン「京都モダンテラス」があります。ブック・アンド・カフェは朝8時から22時まで、レストランは23時まで営業。上演が始まる前にも終わったあとにも立ち寄れるので、公演が終わったあとにお茶をしながら感想を語り合ったり、お酒を飲んでくつろいだりしてもらうことができます。

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ロームシアター京都メインホールの様子 撮影=小川重雄

客席を埋めるよりも大切なこと──劇場は、地域が育てるひとりの「市民」

──今回の改修で、劇場部分を改装・増築しただけでなく、ショップや広場などが新しく付け加えられたんですね。劇場としてだけではない、「憩いの場としての機能をもった施設」になったという印象です。

 これまで劇場は、公演を観たり聴いたりする人だけが訪れる場所だと思われがちでした。ロームシアター京都では、さまざまな目的を持った人たちが気軽に訪れて思い思いの時間を過ごし、「次は劇場にも入ってみよう」と思えるような場所を目指したいと思っています。

 私は、劇場はその地域に住んでいるひとりの市民であると考えています。地域住民と一緒に生きていく存在であるべきだし、育て方を誤れば「グレてしまう」こともある。日本全国に公共劇場は2000〜3000あると言われていますが、維持費の問題などで、だんだん使われなくなってきている施設も多くあります。経営が成り立たなくなった劇場内のレストランが閉店してしまい、最後には自動販売機がポツンと置いてあるだけになる、といったケースもよく耳にします。グレてしまって、市民社会から疎外されてしまっている劇場の例ですね。そうならないよう、我々スタッフだけでなく、近所の人たちにもかわいがってもらってこの生まれたばかりの劇場がスクスクと育っていけるように、地元の皆さんとの交流も大事にしています。

──「地元との交流」という言葉が出ましたが、ロームシアターの場合には、具体的に地域の人たちとの間でどのようなやりとりがあったのでしょうか。

 京都会館が閉館したのが、2012年2月。老朽化、前川國男が設計した建築の保存、立て替え反対運動など、改修に至るまでの課題が多く、いろいろな議論がなされました。今回の基本設計を担当した建築家の香山壽夫さんは、保存するだけではなく、古いものに新しい価値を重ねていくことこそが「継承」なのだと考え、このようなデザインにした、と話されていました。

 「価値を重ねる」というコンセプトは、いままでの機能を引き継いだ上で新しい使い方を可能にすることを目指す、私たちの運営の姿勢とも共通するものです。建物と運営のコンセプトが一致するのは、本当に理想的なこと。この地域の歴史や人々の記憶、市民のライフスタイルを前提として、劇場がある場所、劇場のある生活を考えていきたいです。

──その土地の生活に密着するものとして劇場をとらえられているんですね。地方都市の文化的な環境は、首都圏とは大きく異なっていると思いますが、そこでの劇場のあり方についてはどう考えられていますか。

 そうですね。私は2013年まで、KAAT 神奈川芸術劇場の支配人として首都圏の文化事業に携わっていました。そのなかで、日本の文化芸術資源は過剰なほど東京に集中していることを実感しましたね。

 日本人口の4分の1が首都圏に集まっていますから、地方の劇場に東京と同じように、人が集まらないことは仕方がないともいえます。しかし、だからといって、地方には人口に合わせた小規模な劇場を建てればいい、ということでもないのです。首都圏の劇場と同じサイズや機能がないと同じ演目を上演できないのはもちろん、スタッフも技術もすべてトップクラスでなければ、上質な公演は実現できません。そういった事情を考えると、究極的には「首都圏以外には舞台芸術はいらない」という結論になってしまう。でも、それはどう考えてもおかしいですよね。

 難しい問題ですが、大切なのは「その場所に合った劇場のあり方」を探しながら、地域の人たちと一緒に劇場をつくっていくことだと思っています。

東京を経由しない、「世界に開いた窓」としての京都

──それでは、実際に京都に拠点を移して、この土地にどのような印象を持たれていますか?

 京都は、市民のエネルギーに支えられ、いろいろなものが同居している場所だと感じています。京都といえば伝統的な芸能や工芸のイメージが強いと思いますが、実は若いアーティストがたくさん住んでいるんです。街がコンパクトなので、知り合い同士がよく顔を合わせるし、多くの人がタクシーで数千円圏内に住んでいるので、終電を気にする必要もなく、夜の時間が非常に豊か。そんななかで、京都独自のアーティストのネットワークができあがっています。それから、ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川にはドイツから来たアーティストが、アンスティチュ・フランセのヴィラ九条山にはフランスから来たアーティストが滞在したりと、東京基準ではなく、世界基準の価値観がかたちづくられています。京都が東京のアート、カルチャー・シーンから独立しているように思われるのは、彼らが東京を基準にしていないからではないでしょうか。つくられたものを持ってきて展示や上演を行う「消費」が中心にある東京の文化とは、京都の文化は性質が異なっているように思います。

 文化庁の京都移転計画が話題となっていますが、いまの文化庁がカバーしている「文化」の大部分が「文化財」であることは否定できません。これからは、古都としてだけではない京都の性格や、そのなかで生まれてくる新しい動きにも、ぜひ着目してもらいたいですね。現代美術や現代舞台芸術などをもっと文化の枠のなかに取り込んでいくためには、京都の街の新しい側面に注目を集めることが重要になってくると思います。

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ロームシアター京都の外観。1階には蔦屋書店とスターバックコーヒーが入っている 撮影=小川重雄

すべての目的にアジャストする。劇場からはじまる協働の可能性

──京都から発信する文化はますます重要になっていくと考えられますね。最後に、ロームシアター京都での今後の計画や、実現していきたいことについてお聞かせください。

 4月には、全国各地の伝統ある民謡と踊りの数々を披露する「京都民謡まつり」や、自然ドキュメンタリー番組「フローズンプラネット(NHKとBBCの大型国際共同制作シリーズ)」の壮大な世界を、大スクリーンの映像とフルオーケストラでお楽しみいただける「京響クロスオーバー」などの企画があります。また秋には、世界的に活躍する指揮者のワレリー・ゲルギエフ指揮によるオペラ公演など、幅広いプログラムを予定しています。

 この劇場の設備は、すべての目的に対してアジャストできるように設計されているので、ジャンルにこだわらず、さまざまな企画を取り上げていくつもりです。これまでの京都会館の機能を引き継いで、伝統芸能の発表の場としてもどんどん使っていただきたいですし、「KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭」のように、海外のものを含めた実験的で新しい企画も積極的にやっていきたいと思っています。それから京都は大学の街でもあるので、学生たちにももっとアプローチしていきたいですね。

 加えて、アートや建築など、舞台芸術以外の分野とも協働の機会を探っていきたいですし、レストランを備えた施設であることを活かして、食を文化のひとつととらえた企画もできるとおもしろいですね。実は私自身、若い頃に日本料理の板前をやっていた経験があって。料理をつくって出すということは,公演をつくって劇場で発表することと非常に近いように、常々感じていたのです。いい素材があっても、上手く料理できなければ美味しくはならない。それは、舞台も同じですから。

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ロームシアター京都の支配人兼エグゼクティブプロデューサーを務める蔭山陽太

聞き手=編集部、構成=近江ひかり

ロームシアター京都
住所: 京都市左京区岡崎最勝寺町13
電話番号:075-771-6051
URL:http://rohmtheatrekyoto.jp/

毛利悠子が「イメージを生み出す」新作インスタレーションを展示

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日用品や機械で構成された、サイトスペシフィックなインスタレーションで知られるアーティスト・毛利悠子。次世代を担う日本人アーティストに贈られる「日産アートアワード 2015」でグランプリを受賞し、開催中の「六本木クロッシング2016:僕の身体、あなたの声」(森美術館)にも出品するなど、近年、目覚ましい活躍を見せる彼女が、waitingroom(東京・恵比寿)にて新作個展を開催。スキャナーを用いた、平面と立体の関係性を探る作品を発表する。

 毛利悠子は、さまざまなオブジェクトを組み合わせ、機械や磁力や重力といった「目に見えない力」に言及するインスタレーションを制作してきた。2016年4月9日〜5月15日に開催される本展では、今冬に「THEBEGINNINGS (or Open-Ended)」展(Minatomachi POTLUCK BUILDING、名古屋)で展示された作品をブラッシュアップし、新作インスタレーションとして発表する。

 今回、毛利が着目したのは、スキャナーとスキャニングされた画像。蝶のおもちゃやコインなど毛利作品に繰り返し登場するオブジェを、動かしながら継続的にスキャニングすることで、画像データとしてのイメージを生み出し続ける。毛利は、無数のイメージが折り重なっていく様子を「ひだ」と表現。展示タイトルの「Pleated Image」とは「ひだ状のイメージ」の意。

 毛利は、ブレやボケ、エラーを含むこれらのイメージを、あるはずのないものが写り込む「心霊写真」にたとえ、「モノやコトがぶれたり揺らいだりするあいまいな状態を生成させて、人々の想像力にアクセスする。それに美術的にアプローチすることに興味がある」と語る。空間に寄り添うインスタレーションを多く手掛けてきた毛利にとって、ビジュアル・イメージを軸とした作品の展示は、新たな試みとなる。

毛利悠子 個展「Pleated Image」
会期:2016年4月9日~5月15日
会場:waitingroom
住所:東京都渋谷区恵比寿西2-8-11 渋谷百貨ビル4B
電話番号:03-3476-1010
開館時間:月 17:00~23:00、金・土・日 13:00~19:00
URL:http://waitingroom.jp/index.html

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美術作品を残すということ 計測する作家・毛利悠子インタビュー

【今月の1冊】トルボットが描いた世界初の写真集『自然の鉛筆』

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『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から注目したい作品をピックアップ。毎月、図録やエッセイ、写真集など、さまざまな書籍を紹介しています。2016年4月号では、初期写真技術であるカルボットの発明者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボットによる世界初の写真集『自然の鉛筆』を取り上げました。

ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット 著『自然の鉛筆』
絵から画へ

 1830年代後半から40年代前半に相次いで発表された初期写真術──ルイジャック・マンデ・ダゲールのダゲレオタイプ、ジョン・ハーシェルのサイアノタイプ、そしてウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット(1800〜77)のカロタイプ。本書は未だ「幼年期」にあったカロタイプを使用してトルボット自らが1844年から46年にかけて制作・出版した世界初の写真集『自然の鉛筆(The Pencil of Nature)』全6巻の邦訳完全版である。

 発表時期を見れば、たしかにトルボットはダゲールに一歩後れを取ったかもしれないが、カロタイプの画期性はネガ・ポジ法の採用によってプリントの複製を初めて可能にした点にある。しかし、それは皮肉にも「写真は芸術か」という命題を生み出すこととなった(ラスキンやボードレールの写真批判を思い出されよ)。なるほど「フォトジェニック・ドローイング」という呼称は、写真術が最初ドローイングの一種だったことを示唆しており、トルボットの提示する画像には絵画的作法がはっきりと認められる。また、彼は18世紀に自然の見方を定式化した美的範疇「ピクチャレス」にも精通していた(例えば、図版Ⅵ《開いた扉》のテクストや、XV《ウィルトシャー州レイコック・アビー》の構図は、1790年代の言説への親近性をうかがわせる)。

 このようにトルボットの時代には、写真はまだ自律的な芸術としての地位を確立しておらず、したがって「フォトジェニック」は当初「光の化学作用によって生じる」という技術的・内在的意味しか持たなかった。それが芸術的意味を獲得するのは、ストレート・フォトグラフィがピクトリアリズム(絵画主義)に取って代わった1910年代のアメリカにおいてである──ようやく写真は絵画の呪縛を解かれ、フォトジェニック(=画になる)はピクチャレスク(=絵になる)の対等つつ正式な後継者となった。その影響は大衆社会にまで波及していく。つまり、世界を見る眼の規範が「絵画」から「画像」へ転換された結果、今では消費を前提に全てが「画になる」。

 さすがのトルボットもデジタル時代の複製までは予測できなかっただろうが、それでも彼は本書を通じて写真術が後世芸術・視覚文化にとって革新的な「技術(アート)」であることをすでに予言していた。加えて、本書に収録された芸術家・研究者らによる多様な論考は、トルボットや写真術への理解をよりいっそう深めるのに役立つだけでなく、高度情報化社会や現代美術と写真との関係を考えるための豊かなヒントを与えてくれる。

 近藤亮介[こんどう・りょうすけ(美術家)]=文
『美術手帖』2016年4月号「BOOK」より)

『自然の鉛筆』
ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット=著
赤々舎|4000円

芸術への多角的なアプローチ『美術手帖』4月号新着ブックリスト

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『美術手帖』の「BOOK」コーナーでは、新着のアート&カルチャー本の中から、エッセイや写真集、図録など、注目したい作品を紹介しています。2016年4月号では、写真や仏像、音楽とさまざまな芸術のかたちを紹介する4冊を取り上げました。

安松みゆき 著『ナチス・ドイツと〈帝国〉日本美術 歴史から消された展覧会』

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 1939年2月28日、ヒトラー出席のもとベルリンで開会した「伯林日本古美術展覧会」は、20世紀前半のドイツにおける日本美術研究の一つの到達点であった。オットー・キュンメルらの研究に基づき「量より質を」重視した同展は、大衆的な浮世絵や工芸品の代わりに国宝級の仏画・大和絵・仏像を特集した点で、西洋に衝撃を与えた。一次資料を丹念に読み込みながら、語られざる「負の遺産」に果敢に挑み、日独両面から政治と美術の関係を探る一冊。(近藤)

牧野隆夫 著『仏像再興 仏像修復をめぐる日々』

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 筆者の牧野隆夫は、30数年にわたり仏像の修復を行ってきた修復家である。像の有名無名を問わず全国各地の寺社を訪ね歩く姿は、まさに「仏像の町医者」だ。長い歳月の中で劣化し、あるいは罹災し姿を変えていった数々の仏像たちに向き合ううち、著者はかつて「再興」と呼び慣わされてきた修復が、現代の文化財保存の考え方とは性質を異にしていることを実感する。仏像造立の背景や、伝承への想いに迫る著者の、好奇心と慈しみが伝わってくる。(松崎)

『仏像再興 仏像修復をめぐる日々』
牧野隆夫=著
山と渓谷社|1800円+税

デイヴィッド・グラブス 著『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』

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 実験音楽の開拓者ジョン・ケージと哲学者ダニエル・シャルルの対話から引用された表題は、聴者の視点を制限しない音の環境を追求したケージの思想を端的に言い表している。一方で、録音は音楽家たちが望むと望まざるとにかかわらず、作品とリスナーの時空を超えた出会いを可能にし、また各時代で生演奏と対立/相補関係を結んできた。ジャンルフリー世代の音楽家でもある著者が、自らの体験を振り返りながら語る現代音楽の半世紀。(近藤)

『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』
デイヴィッド・グラブス=著
フィルムアート社|2800円+税

在本彌生 著『在本彌生写真集 わたしの獣たち』

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 外資系航空会社の客室乗務員としてのキャリアを持ち、ハッセルブラッドを手に世界各地を旅する写真家・在本彌生。本書に収められたのは、日本を含む31か国で撮影された写真だ。撮影地の区別なく並ぶ、家畜、波止場、食卓、夜景......。共通するのは白茶けた光と熱を帯びた強い色彩。潔癖な近代の都市空間が切り捨てたそれら生の色は、ノスタルジックで野性味にあふれ、妙に艶かしい。現地住民の日常に踏み込んだ在本の旅のエッセイも清々しい。(松崎)

『在本彌生写真集 わたしの獣たち』
在本彌生著
青幻舎|3800円+税

近藤亮介[こんどう・りょうすけ(美術家)]+松﨑未來[まつざき・みらい(ライター)]=文
『美術手帖』2016年4月号「BOOK」より)

彫刻家・棚田康司個展、トルソに刻むインドネシアのスケッチ

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痩せた体に長い手足の中性的な少年・少女像が印象的な彫刻家、棚田康司。4月6日よりミヅマアートギャラリーにて、棚田康司の個展が開催される。展覧会には、昨秋2か月間、インドネシアにて滞在制作した12点と帰国後に制作した新作1点が並ぶ予定だ。

 昨年10月、棚田康司はインドネシアのジャワ島西部の都市、バンドゥンへ渡り、そこに2か月滞在し作品制作を行った。不慣れな環境での苦労はあったが、インドネシアの風土のなかで、そこに育った樹木を用いた制作に取り組むことで、棚田は自身が日本人であると同時にアジア人であるという視点の広がりを獲得したという。

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棚田康司 12のトルソ No.8 少年になった木 あるいは 木になり始めた少年 2016 26.5×26.5×16cm マホガニー材、銀箔 © TANADA Koji / Courtesy Mizuma Art Gallery

 棚田がそこで制作したのは、自身の制作においてスケッチ的な存在と位置づけるトルソ(手足を除く胴体部分のみの彫刻)のシリーズ。棚田は新たな素材を手に、トルソによって表現の実験を試みている。現地のマンゴーやマホガニーといった木材から彫り出された少年、少女の姿には、思春期特有の力強い生命力と精神の不安定さが滲み出ているかのようだ。

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2015年、Mizuma Gallery (シンガポール) での「From Koyasan to Borobudur / NASIRUN & TANADA Koji」 展示風景 © TANADA Koji Courtesy Mizuma Art Gallery

 2011年に起きた東日本大震災の翌年と翌々年、練馬区立美術館と伊丹市立美術館の2館を巡回した個展「たちのぼる。」で、苦難を乗り越えようとする上昇のイメージを提示した棚田。今回、棚田が触れたインドネシアの空気は、どのような形態となって立ち現れるだろうか。

棚田康司展「バンドゥン スケッチ」
会期:2016年4月6日~5月14日
会場:ミヅマアートギャラリー
住所:東京都新宿区市谷田町3-13 神楽ビル2F
電話番号:03-3268-2500
開館時間:11:00〜19:00
休廊日:日・月・祝日
URL:http://mizuma-art.co.jp/exhibition/16_04_tanada.php

無垢な視線から見える世界を描き出す、長編アニメ『父を探して』

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ブラジルの新鋭アレ・アブレウ監督による長編アニメーション映画『父を探して』が、3月19日よりシアター・イメージフォーラムほか全国で順次公開されている。物語は出稼ぎに出た父を探すために未知の世界へと旅立つ少年が主人公。農村や国際都市などが手描きの手法で鮮やかに表現され、政治や経済、 環境といった現代社会の問題があぶり出されている。音楽はサンパウロを拠点とする音楽家のオリジナル曲で、温かい躍動感が映画を彩る。同作は、2016年の第88回アカデミー賞長編アニメーション部門に、南米の作品として初めてノミネートされた。

 真っ白い空間のなかを、赤い、ボーダーのシャツを着た少年が歩く。背景には様々な動植物が登場し、徐々に画面全体を 埋め尽くしていく。写実的な形態把握を無視してデフォルメされたこれらは、彩度の高い色彩によって描かれ、自身の存在を謳歌している。 少年はそのなかを走り出す。するとどうだろうか。動植物たちはそれまでの存在感を全く損なわぬまま、世界のなかに息づきはじめる。 少年の運動によって空間はねじれ、世界があらたな秩序を形成していく。部分と部分が共鳴し、躍動する。アニミスティックなうごめきが、そこにはある。

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『父を探して』より

 ロードムービー形式の叙述を採用することによって、アニメーションという媒体にそなわった、"世界を鋳直(いなお)す想像力"が解放される。少年の瞳に映る風景は、クレヨンや色鉛筆、コラージュなど、多種多様な技法によって描き出されていく。その奔流は先に触れた祝祭的なユートピアばかりではなく、社会的、政治的主題をも含んだ世界像へ再構成される。本作はアニメーションであるからこそ、このような清濁併せ持つ世界観を具現化することができた。なぜならそこでは、仮にカメラを向けるとすると否応なしに生じてしまう強固な鋳型=形態の三次元性にとらわれないからだ。

 白い紙の上の染みや、紙切れにすぎないそれらがかたちづくる画面は、少年の感性を説得的に可視化する。 しかしその視線は無垢であるがゆえに繊細で、心もとない。終盤、不意に垣間見えてしまう世界の姿は、それだけに衝撃的だ。そこから流れ込むクライマックス、主人公の境遇に観客は何を思うのか。簡略化された造形は、雄弁な無表情となって語りかけてくる。 私たちが映画のなかで少年と取り持った関係をいかようにも代入できるその記号性は、描線が持つ根本的な抽象性に他ならない。レイヤーを重ね、動画を何千枚も描くこととは異なる、アニメーションのもうひとつの可能性が、この結末には賭されている。

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『父を探して』より

 配給はアニメーション研究者、土居伸彰が代表を務めるニューディアー。設立後、本作が初の配給作品となる。ワールドワイドなシーンとのシンクロを図ろうとする同社の今後にも、目が離せない。

【特別公開】『父を探して』メイキング
https://youtu.be/X2fByPEiR7k

塚田優=文

映画『父を探して』
監督:アレ・アブレウ
配給:ニューディアー
公開:2016年3月19日以降 順次全国公開
上映館:シアター・イメージフォーラム(東京)、シネ・リーブル梅田(大阪)など
URL:http://newdeer.net/sagashite/
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