チベットの古代仏教壁画に影響をうけ、北京を拠点に活動する黃宇興(ファン・ユシン)。自然に対する心からの尊敬と、強い感情を反映した構造や裂傷が交差するとき、 実質性を失った世界で絵画は本来の身体性を取り戻す。
ヒマラヤの幻想的な光や空気と、人間社会の抑圧が見事に融合する
黃宇興(ファン・ユシン)の絵画には、見る者がまるで中毒になるようなインパクトがある。絵画のサイズが物理的に大きくなっただけでなく、ここ数年で、黃の絵画の存在感は増すばかりだ。身体に強く訴えかける風景は見る者を無防備にし、強烈な構造と色で訴えかける。
北京の中央美術学院で壁画の勉強をした黃は、キャリアの初期の頃からチベットの古代壁画に憧れ、学生時代に初めて訪問したチベットで、それまで体験したことのなかった光や色、そして空気と出会った。標高数千メートルにある寺院の壁や岩の表面に描かれた鮮やかな絵画を研究するなかで、時間の流れやその神秘と向き合った。黃は壁画の顔料について、それらが時間の美しさをも表現していることに気づいて驚いた、と語る。「壁画の色は、数百年かけてだいぶ変化していて、様々な生活の積み重ねをみることができます。例えば、寺院の中で火を使って調理をする習慣がありますがそのときの煙が画に付着することで、そこで人々が生きていた時間は物理的に絵に肉付けされます。また、小さなヒビがあればそこから過去を垣間見ることもできるのです」。
自身の作品において仏教はどのような役割を担っているかを聞くと、黃は仏教的なイメージを作品に直接反映することはあまり好きではなく、作品のモチーフとしては関係ないと説明する。黃自身は仏教徒ではないものの、チベットの仏教に敬意を表し、絶えず理解を深めようとしている。絵画の表面から仏教との関連性がすぐに見えるわけではないが、「作品の奥深く、いちばんコアのところで、作品と仏教は密接につながっている」と言う。

しかし、超越を目指す仏教に対し、黃の作品は肉体がもつリアルさを主張する。黃の作品は濃い蛍光色を使っており、その激しく彩られた世界を前にすると、私たちはものの見方、つまりは「見る」といった現象学的な動きの限界に直面する。黃は自身の作品を次のように説明する。「解体された肉体や骨格、そして抜き取られた内臓、それらをつむぐことで私の絵画はできています。そしてその要素は、生死や何百年もの時を運ぶ血管となり、人間関係のもととなる記憶や、パーソナルな感情をも運ぶのです」。
また、黃の絵画には身体の動作も描かれている。労働者の肉体労働を表現し、たくさんの身体が床に散らばった最新作《プロレタリアートを倒す新世界》では、完全に疲れきった状態が伝わってくる。それに対して、《ソフトウェア工場》ではバーチャルな知識労働者が描かれていて、彼らは身体的負担を課せられることはない。搾取の多い世の中で、この二つのタイトルからは資本主義から解放された労働への憧れに対するアイロニーが読み取れる。

他にも迫りくる不幸、破壊の予言を思わせるような葛藤もある。絵画の構造や色が破壊され、折れた手足の残骸が画面のあちこちに落ちていて、秩序ある世界が徐々に崩壊していく様子を描いた《成熟の樹》がある。「これは危機に直面する瞬間を描いています。若者が経験する危機です」。しかし、小説家であるホルヘ・ルイス・ボルヘスの碑銘からとったこの展覧会のタイトル「AND NE FORHT EDON NA(恐怖はいらない)」が示すように、黃は「同時に、未来への扉もあります」と続ける。また、胎児が登場する《シェルター》という作品では、生命の孵化が描かれていることからもそのことは感じとれる。
自由を渇望する、引き裂かれた臓器
上海の民生現代美術館で行われた黃の大規模個展(2015年)でキュレーターを務めた朱朱(ヅ・ヅ)は、前述のような不安を、現代美術キュレーターのヘレイン・ボスナーの「別離の不安」に関連づけて読み解く。「20世紀後半に切断された身体が登場したのは偶然ではない。それは暴力や抑圧、不平等、そして心身のストレスに支配された世界に住んでいる結果だ」(同展のカタログより)。このように身体が切断されることは、アントナン・アルトーやジル・ドゥルーズの「器官なき身体」(欲望や強烈な感情の純粋な強度である「卵」、あるいは、アルトーの『神の裁きと訣別するため』での言葉「消えることのない、批判の傷痕」である臓器に対する拒絶)と結びつけて考えられる傾向にある。また、黃のカンバスのゆがみからは、戦後に肉体は占領した/占領されたというニヒリズムを主張した舞踏の先駆者、土方巽の「空っ箱、ふいごになった柳行李になって内臓を一切合切表へ追い払って遊びました」(『土方巽舞踏大鑑』、1993年、悠思社)という表現とも類似している。
キャンバスの上で感情と肉体が分離してバラバラになると、自由になったというエクスタシーも感じられる。自身もLGBTのコミュニティーメンバーであることから、黃は身体の政治力をよくわかっている。性のアイデンティティーや周りの社会のスタンダードについても深く考え、またチベットに関する活動を理由として2008年には国家安全保障局に逮捕・監禁された。身体の自由が奪われることも直接体験している。

この10年間で黃のスタイルは大きく変わった。人気のアイコンなどを描くところから始まり、神話的な存在を描き、そして今では抽象的な絵画を描くようになった。これまでは中国国内を中心に自身の作品を展示してきたが、近年は香港、フランス、アメリカでも作品を発表する機会が増え、作品の価格も徐々に上昇している。これからもますます活躍が期待される黃は、新たな挑戦を続ける。「ここ数年、アートマーケットの動きがあったことは知っているが、そのことで制作に対する姿勢は変わりません。リスクを背負うことを自らに課し、これからは彫刻がもつ可能性も探求していきたいと思っています」。
太田エマ=文 佐伯花子=編集協力
(『美術手帖』2016年11月号「ARTIST PICK UP」より)
PROFILE
HUANG YUXING 1975年中国、北京生まれ。2000年中央美術学院(北京)卒業。ビジュアルカルチャーから切り取ったイメージを用いた初期の「肉食動物」シリーズや、近年のサイケデリックなパターンを思い起こさせる「河」シリーズで知られる。主な個展に2012年北京コミューン、2015年余徳耀美術館(上海)など。2015年に初の回顧展「沖積」を民生現代美術館(上海)で開催。主なグループ展に2016年Night Gallery(ロサンジェルス)、北京今日美術館など。
会場:ギャラリー・ペロタン(香港)
住所:17F 50 Connaught Road,Central, Hong Kong
電話番号:+852-3758-2180
開館時間:11:00〜19:00
休館日:日、月
ギャラリー・ペロタン(香港)にて開催。展覧会名は、スペイン語で「恐怖はいらない」という意を表す。本展では幅5m以上の大作から小品まで、14点の新作絵画を展示した。