日本でも高い人気を誇るフランスの印象派の画家、ピエール・オーギュスト・ルノワール(1841〜1919)は、淡い色彩を用いて日常の風景をとらえた作品を数多く残してきました。ルノワールは、社交界の有名人から労働者までさまざまな女性の人物画を描いています。幸福感に満たされ輝く彼女たちは、それぞれの魅力を持ち、見る側の心にもあたたかく優しいものをもたらしてくれます。ここでは、ルノワールのモデルとなった3人の女性をご紹介しましょう。
ルノワールの妻──アリーヌ・シャリゴ(1859~1915)

© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
ますはじめに、《田舎のダンス》(1883)です。この作品は1883年にシチュエーションやポーズを変えて描かれた連作「ダンス三部作」の一つで、当時ルノワールがしばしば通っていたセーヌ川やマルヌ川付近の酒場やダンスホールが舞台になっていると推定されています。扇を広げ、弾けるような笑顔を見せて踊っているのは、アリーヌ・シャリゴ、後にルノワールの妻となる女性です。彼女はシャンパーニュ地方の村エッソワに生まれ、モンマルトルでお針子として働いていました。1878、79年頃にルノワールと知り合い、《舟遊びをする人々の昼食》(1880)など多くの作品でモデルを務めます。
また、1885年に長男のピエールが生まれると、息子に授乳するアリーヌの姿を、ルノワールは繰り返し描きます。展覧会に出品されている《母性あるいは乳飲み子(ルノワール夫人と息子ピエール)》(1885)もその一枚です。この作品での彼女は、《田舎のダンス》でのはつらつとした魅力にあふれた姿とは異なり、母親としての優しさと暖かさを感じさせる姿で描かれています。
実は、ルノワールにとっての1880年代は、印象派の技法に限界を感じ、新たな技法を模索していた苦しい時代でもありました。そんな彼の傍にいて支えたのがアリーヌでした。彼女をモデルにした作品群を見ると、ルノワールの彼女に対する愛が時を超えて感じられるようです。
気になる女性──マリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(シュザンヌ・ヴァラドン)(1865~1938)

© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
一方、1880年代のルノワールには恋人アリーヌのほかに気になる女性がいました。それが、こちらの《都会のダンス》(1883)のモデルを務めたマリー=クレマンティーヌ・ヴァラドン(後のシュザンヌ・ヴァラドン)です。《都会のダンス》もまた、「ダンス三部作」の連作の一枚ですが、あらゆる点において《田舎のダンス》とは対照をなしています。例えば、後者が喧騒に満ちた屋外を舞台とし、衣服の赤や黄など暖色を多用しているのに対し、こちらは白い大理石のあるブルジョワ風の室内で、静かで上品ではありますが、モノトーン調の色調も相まってどこか冷たさを漂わせる作品となっています。
ヴァラドンは洗濯女の私生児として生まれ、幼い頃に母とともにパリに出て育ちます。10代の頃からいくつかの職を点々とし、サーカスのブランコ乗りとして働いていました。しかしケガで引退を余儀なくされ、絵画モデルに転身します。
美貌を持つ彼女は、ルノワールのほかにもシャヴァンヌやロートレックなど、当時の名高い画家たちのもとでポーズをとっています。やがて自身も独学で絵を学び、画家を志すようになります。その頃、恋人でもあったロートレックが彼女につけたあだ名が「シュザンヌ」です。後に画家となった彼女が、作品に「シュザンヌ・ヴァラドン」と署名するようになったため、こちらの名前のほうがよく知られているでしょう。
恋多き女性でもあり、《都会のダンス》のモデルになった1883年当時は妊娠中でした。同年末に生まれたのが、のちに1920年代のエコール・ド・パリを代表する画家モーリス・ユトリロ(1883〜1955)です。彼の父親はわかっていませんが、有力候補の一人としてルノワールも挙げられています。
マネの姪っ子──ジュリー・マネ(1878~1966)

© RMN-Grand Palais (musée d'Orsay) / Hervé Lewandowski / distributed by AMF
「マネ」というファミリーネームに聞き覚えのある方は多いのではないでしょうか。そう、彼女はエドゥアール・マネ(1832〜1883)の弟ウジェーヌと印象派の女性画家ベルト・モリゾ(1841〜1895)との間に生まれた娘、つまりエドゥアール・マネの姪にあたります。
モリゾは毎週木曜日に自宅で夜会を開き、そこには印象派の同志だったルノワールやドガ、詩人のマラルメなど多くの芸術家が集いました。子どもだったジュリーも夜会に出席を許され、彼女は大人たちに可愛がられて育ちます。
ルノワールのアトリエに遊びに行き、マラルメと舟遊びをする。そして、ママンであるモリゾが彼女をモデルに絵を描く。14歳の時から綴られたジュリーの日記には、そのような日々が綴られており、日本語でも『印象派の人びと ジュリー・マネの日記』(中央公論社、1990年)として読むことができます。
この絵は母モリゾの依頼で、彼女が9歳のときに描かれた作品です。背筋を伸ばし、モデルらしくおすまししていますが、こちらに向けられた切れ長の目、ほころんだ口元からは子どもらしさとともに、「ルノワールさん」に寄せる親愛の情、そして画家から少女への優しい感情が伝わってくるかのようです。
絵が描かれた8年後、父ウジェーヌに続いて母モリゾが亡くなり、17歳のジュリーは一人残されます。マラルメらとともに彼女の後見人になったルノワールは、ブルターニュでのバカンスに誘ったり、彼女の描く絵に助言を与えたりと心遣いをみせています。ルノワールが描いた9歳の頃の肖像画を、ジュリーは生涯手放すことがありませんでした。この絵はおじさんたちがいて、なによりも両親がいた、まさに幸福な子ども時代の思い出そのものだったのでしょう。
今回紹介した作品は、国立新美術館(六本木)で開催されている「オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展」で見ることができます。とくに《田舎のダンス》と《都会のダンス》は45年ぶりに揃っての来日となりました。ルノワールが描写した色とりどりの女性たちを一堂で見ることができる、貴重な機会となっています。
会場:国立新美術館 企画展示室1E
住所:東京都港区六本木7-22-2
電話番号:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
開館時間:10:00〜18:00(金曜日、8月6日、13日、20日は20:00まで)
URL:http://renoir.exhn.jp